落語家は800人、講談師は60人
――それにしても不思議なのは、落語界では入門者がひっきりなしに来ているということなんです。講談とは何が違うんだろうと思ってしまいます。
松之丞 ハッキリ言って、いまから落語界に入ろうとしても厳しいですよ。いま、東西合わせて800人以上の落語家がいます。近い将来、1000人を超えるでしょう。落語のパイは広がりましたが、果たしてどれだけの落語家が食べていけるのか。競争は熾烈を極め、かなりの「格差社会」が到来してます。そうした状況が見えているのか、見えていないのか。かつてバブル期の前後に、大量の入門者がいたんです。でも、若輩者が言うのはなんですけど、その世代でちゃんと残っている人は少ないです。
――流行りに乗って入門する人は厳しいわけですね。
松之丞 反対に業界全体が厳しい時期に入門してくる人たちには、見どころがあると思います。覚悟を決めて入門して来るわけですから。
――俯瞰してみると、落語よりも講談の世界に飛び込む方が、よっぽどチャンスはありそうですね。
松之丞 正直、落語家さんの中にも、「ああ、この人は講談やってたら良かっただろうなあ」という人がいるんです。講談は、東京でもふたつの協会合わせて60人ほどしかいません。ひとり入ってくれば、ガラッと雰囲気が変わりますし、かわいがってもらえるはずなんです。
前座時代は4年目がつらい
――ただ、前座の生活は厳しいんですよね。そこで二の足を踏む人はいるでしょう。
松之丞 でも、それは落語も一緒ですからね。自分の前座時代を振り返ってみると、3年目までは良かったんです。仕事も、読物も、覚えなきゃいけないことがたくさんある。ところが、二ツ目昇進を翌年に控えた4年目がつらい。
――あと1年の辛抱だ、とはならないものですか。
松之丞 ならない。頭がおかしくなりそうでした。いろいろとやりたいことが見えてましたから、前座としての一日が長くて、長くて。周りのみんなも口を揃えて、「4年目はしんどかった」と言うんです。僕は、前座修業に限らず、人間は「3年」という単位がちょうどいいんじゃないかと思うんです。中学、高校も基本的には3年ですよね。人間の生理にちょうどいい。
――これはまだ先の話ですが、少なくとも10年以内には松之丞さんも弟子を取ることになりますよね。どんな師匠になるんでしょう。
松之丞 僕は立川談笑師匠の弟子の育て方がいいなあ、と思ってるんです。談笑師匠は入門者にあらかじめ、「もしも、君が落語家に向いてないことが分かったら、早い段階でやめてもらうからね」と伝えるんです。これ、大事なことだと思って。向いてないのに長居させてしまっては、かえって時間を無駄にしてしまう。これは談笑師匠のやさしさだと思うんですよ。それは単純に落語家としては向いてないだけで、決して人間として失格の烙印を押されたわけではありませんから。僕もそういう立場になったとしたら、同じ方法を採るでしょう。人間ですから、どうしても生理的に合わない人だっている。そういう人と一緒にいたら、自分にもマイナスになってしまうので、入門してから数カ月がひとつの目安になるんでしょうね。