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 それが優勝するや、仕事がどんどん決まっていった。その売り出し方もちょっと変わっていたので、彼女としてみれば戸惑いもあっただろう。何しろ、デビュー当初には芸名が複数あった。

 1988年3月に公開された『1999年の夏休み』の出演時の芸名は「水原里絵」だった。それがこの年の10月には、「高原里絵」と本名の「深津絵里」と2つの名前でそれぞれ別の曲を歌ったデビューシングルを同時発売し、翌年公開の映画『満月のくちづけ』では役名と同じ高原名義で主演を務める。雑誌では、深津と高原が別人という設定で対談が掲載されたこともあった。いかにも80年代らしいギミックに満ちた売り出し方だが、さすがにファンや業界関係者にも混乱を招いたようで、やがて本名に統一されている。

10代の深津絵里 『深津絵里 写真集 Sobacasu』(近代映画社)

 それでもデビュー作『1999年の夏休み』で、彼女は演技の面白さを知り、この先も続けていきたいと思ったという。萩尾望都の名作マンガ『トーマの心臓』を金子修介監督が映画化した同作は、ギムナジウムの少年たちに若手女優が扮し、いまなお一部で伝説的に語られている。

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「先がわからないことに面白さを感じる」

 のちに深津は当時を振り返って、《(引用者注:コンテストで優勝して)その後にすぐ映画に出てくださいと言われた。映画の世界って全然わからなかったけれど、先がわからない面白さを感じていたように思います。少年の役を演ってほしいと言われて当惑もしたけれど、自分は求められていると思うと嬉しかった》と語っている(※1)。