4月26日のPayPayドーム。和田毅投手が今季初めて、本拠地で先発マウンドに上がった。
今年から和田投手はマウンド登場曲を新しくした。
「新しい登場曲はどうかな?」
昨年11月26日、私の冠ラジオ番組で和田投手をゲストに迎えた際、打ち合わせの席でご本人からそのような打診を受けた。
2017年からの『War』、2020年からの『21』に続く、私が制作をして歌唱する3代目の登場曲となる『光』がついにこの日初めてお披露目されたのだ。
今シーズンからホークスは先発投手の登場の仕方が少し変わっている。以前はスタメン野手と一緒にグラウンドに出て行き、マウンドに上がった後に登場曲が流れるという仕組みだったのが、今年は先発投手が1人だけ少し間を置いて最後に登場。そして登場曲を合図にマウンドに向かっていくようになった。
大観衆のPayPayドームに『光』が流れ始め、その中で和田投手がマウンドへ駆けていく。
私が思い描き、そして願っていた光景が現実となった。
私とゴスペラーズの出会い
4月のコラムで、この楽曲『光』の誕生の経緯を書かせていただき、スペシャルコーラスに、ゴスペラーズの黒沢薫さんをお迎えするイメージが湧いたところまでお伝えをしていた。
ゴスペラーズは、2000年代に『永遠に』や『ひとり』のヒットなど日本のアカペラグループを牽引した存在で、今も第一線で走り続けている。
私とゴスペラーズの出会いは、北九州の戸畑高校時代に修学旅行で訪れた長野県の志賀高原のゲレンデだった。仲間たちとスキーを楽しんでいる時、何度も流れていた『永遠に』。その美しいボーカル、ハーモニーが耳に、心に焼き付いていた。その頃、文化祭で初めて人前でのライブを経験し、上京して歌手になる夢が大きくなっていた自分にとって、ゴスペラーズという存在が、ひとつの標識のように浮かび上がっていた。
その後、まずは勉学に励み、人の心に届く歌を作れるようになるため、また人生経験を積むためにゴスペラーズの出身サークルもある早稲田大学への進学を目指した。学年最下位に近い成績から、歌手という夢を励みに受験勉強に勤しみ、上京の道を開くことができた。
いざ始まった東京での大学生活。私が最初に探し求めたのはステージだった。1000ほどのサークルがひしめき合い新入生を歓迎するキャンパスで、とにかく音楽サークルを探した。そんな時、生まれて初めて生で聴くアカペラのハーモニーが聴こえてきた。まるで時が止まったようにアカペラのライブを1曲聴き終えて、導かれるようにそのサークルの新歓ブースに立ち寄った。それこそが、ゴスペラーズを輩出したアカペラサークル「Street Corner Symphony」だった。当時、「ハモネプ」というTV番組のヒットもありアカペラブームだったサークルには、常時100人を超えるサークル員がおり、サークルライブに出演するにもオーディション合格が必要という環境で、日本全国から集まった歌自慢たちがしのぎを削っていた。
ここで4年間揉まれれば、きっと歌い手として成長でき、歌手への道が開けるはずだ。私は迷うことなく入部を決めた。
スタンドから見ていた4年生エースの和田投手
そして早稲田大学といえば和田投手の出身校でもある。私は3学年下の後輩だ。神宮球場、華の早慶戦の最も高く輝けるマウンドに立って躍動していたのが4年生エースの和田投手だった。もちろん、スーパースターの和田投手に直接会うことはできない。遠く離れたスタンドから憧れとともに声援を送った。
いつか必ず歌の世界でプロになり、和田投手に会えるような男になる。そんな夢を当時からひそかに抱いていた。ただ、当然ながらプロ歌手の道は容易ではなかった。大学を卒業してからも東京駅で駅弁売りのアルバイトをしながら、ストリートライブを続けてデビューへのチャンスを探し続けた。
そんななか、共通の友人の紹介により、ゴスペラーズの黒沢薫さんとお会いできる幸運をいただいた。高校生の私の胸に鳴り響いた『永遠に』のボーカルを歌う黒沢さんだ。サークルの後輩ということもあり、渋谷の小さなライブハウスなど私のライブに来てくださり、アドバイスをいただけるようになった。そして、黒沢さんの推薦もあり、ゴスペラーズを最初にスカウトした人でもあるラッツ&スターの佐藤善雄さんに見出していただき、ついにアルバム『すずなり』でのプロデビューへの道が開けた。
それが2007年。一方で和田投手は、入団から5年連続の2桁勝利を達成。ホークス球団としては杉浦忠氏以来45年ぶりの大記録を成し遂げた頃だった。
あれから長い月日が流れ、私は幸運なことに和田投手と直接にお会いできるようになった。小学生の頃に北九州市民球場で代打ホームランを目撃していた元ホークスで、その当時は一軍マネージャー、現寮長の山口裕二さんを通してだった。2007年の2月に宮崎のカフェでライブをしていたところ、偶然にもキャンプ休日だった山口さんが私のライブを聴いてくださり、『すずなり』を買ってくださった。そのご縁から、あの日、遠くに和田投手を見ていた神宮球場で、和田投手ご本人とお会いできたのだ。
その後、さらに10年の時を経て、和田投手登場曲『War』、『21』が誕生した。