「気持ち」がこもったプレーは観る者の心を動かす。
皆さんは、「気持ち」が伝わるプレーと言えば、誰のどんなプレーを思うだろうか。私はこの選手の全身から沸々と沸き上がる闘志に何度も心打たれた。
プロ13年目の牧原大成内野手だ。
なかでも昨秋のオリックスとのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第4戦で魅せたスーパーファインプレーは深く心に刻まれたシーンだった。中堅でスタメン出場していた牧原大選手。2点ビハインド、もう追加点は許せない6回2死二、三塁のピンチで頓宮選手が放った当たりはセンター後方へ。オリックスナインは追加点を確信したかのように手を回したが、牧原大選手はものすごい勢いで背走してそのままダイビング。実況の大前一樹さんも「頭の上……(超えた)」と言いかけたが、「捕ったか、捕ったか、捕りましたー」と絶叫した。チームを救う超ファインプレー。しかし、ここで見せたのは笑顔でなく、ここから反撃だと言わんばかりのメラメラの闘志だった。気迫に満ちたこのシーンは本当に胸が熱くなった。
にじみ出る最強の負けん気
今年4月9日、鹿児島での西武戦でも印象深いシーンがあった。4回に肩甲骨に死球を受けた牧原大選手は、大事を取ってその後途中交代を命じられた。しかし、ベンチで不服の表情。藤本博史監督が牧原大選手のユニフォームを掴んで声を掛ける(笑顔でなだめる?笑)もそれを振り切る、まるで“親子喧嘩”みたいなシーンはネット上でも話題となった。
「拗ねてるマッキー可愛い」
「マッキーが駄々捏ねてる」
などとファンをほっこりさせたが、そんな感情むき出しな所も牧原大選手の魅力だろう。にじみ出る最強の負けん気には本当に心動かされる。
地元福岡の久留米市田主丸町出身。個人的には、同じ旧・浮羽郡の出身なので、隣町の“地元”鷹戦士の活躍は、勝手ながら非常に嬉しく誇らしい。地元のおっちゃんたちも「牧原はすごかね~」とよく酒の肴にしている。
そんな牧原大選手のプロでの歩みを簡単に紹介したい。と思ったが、サッと5行くらいでは紹介しきれないほど濃く平凡でない道のりだった。
田主丸中から熊本の城北高校に進学すると、2010年育成ドラフト5位でホークスに入団。2年目に支配下登録、3年目にはウエスタン・リーグで盗塁王。4年目にはウエスタン首位打者と2軍で確かな成績を残し、1軍でもプロ初安打を放った。2015年には初の開幕1軍。守備固めや代走で存在感を見せるも、打撃には課題を残した。その後も非凡なユーティリティー性を生かしてチームに貢献したが、1、2軍を行ったり来たり。度々怪我にも泣かされ、なかなか“不動の1軍選手”にはなり切れなかった。でも、2軍に行くと無双する。そっちにいるべき選手ではないのは一目瞭然だった。
牧原大選手の歴史をたどっていくと、必死に食らいついてきた“雑草魂”のようなものを感じる。
徐々に、徐々に1軍にいる時間が長くなった。そんな中で迎えた12年目の昨季は、本当に素晴らしかった。初めてオールスターにも選出されたし、出場120試合で打率3割1厘、123安打、6本塁打とキャリアハイの成績を収めた。しかし、自身初の規定打席までわずか「2」打席足りなかった。苦労人にとって、この「規定打席」という絶対的な証がどれだけ手にしたいものだったことか。
期待膨らむ開幕ダッシュだったが… 襲い掛かった悪夢
その悔しさを今度こそ、と挑んだ2023年――。内野手ながら今年は「センター一本」でレギュラー獲りへと燃え、オフから精力的に取り組んできた。キャンプでもしっかりアピールしていた時、今度はこんなニュースが飛び込んできた。
“WBC日本代表追加招集”
怪我でも降格でもない、とても光栄な形でチームを“離脱”することになったのだ。今季に掛ける思いがめちゃくちゃ強かった牧原大選手にとっては、悩みに悩んだ大きな決断だったが、多くの方に背中を押されて日の丸を背負った。打席に立つ機会は限られたが、WBCで6試合に出場し、適時打も放ったし、代走や守備固めとしてチームを支えた。世界一の瞬間はセンターのポジションに立っていた。素晴らしい経験をして、チームに帰ってきた。
シーズンへ向けての調整に不安はあったものの、開幕スタメンに名を連ねると、6試合連続安打。そのうち5試合でマルチ安打と上々のスタートを切った。
ストイックな練習、WBCでの経験、そして強い「気持ち」が牧原大選手の原動力になっているように感じた。今年は、規定打席到達はもちろんのこと、何らかの記録や賞を受賞してくれるのではないかとの期待も膨らむ開幕ダッシュだった。
しかし、そんな牧原大選手に悪夢が襲い掛かった。4月27日の楽天戦で負傷。翌日、「左大腿二頭筋損傷」と診断された。競技復帰までは1か月の見込み。ここまで19試合の出場で打率.296、出塁率.333。「センター一本」と掲げながら、チーム事情により二塁手を任されるなど、やはりチームに欠かせぬ存在として奮闘していた。チームにとっても、本人にとっても痛すぎる離脱だった。