「野球には神様がいる」
もう10年以上前の小さなメモ帳に記された文字。走り書きしたのだろうか、決して丁寧に書かれたものではないのだが、それが逆に熱量を感じさせてくれた。
栗原陵矢が中学生時代に実際に使用していたという野球ノートが「王貞治ベースボールミュージアム」に展示されている。「栗原陵矢展」が行われており、栗原本人がそこを訪れた際に同行取材をした。
彼の人生をそのまま辿れる内容で、その時々にまつわるものが展示されておりなかなか見応えがあった。栗原はなぜか「(幼少期に描いた)絵を一番見てほしい」と照れ笑いしていたが、やはり本人直筆の野球ノートが一番興味深かった。
「一番なってほしくない診断結果でした」
この日はオープン戦が終わってシーズン開幕までの数日間の練習日の頃。栗原は毎年、その時期になると厄払いに行く。もともとはオープン戦の成績が振るわず、とにかく神頼みのつもりで訪れたのがキッカケだったが、今季オープン戦は打率.415(首位打者)、4本塁打、11打点と好調だった。
それでも冒頭の言葉にひっかけて、今年はどうしたのかと質問すると「先日、宝満山に登りました」と笑顔で返ってきた。
「シーズンは別物ですから。シーズンで活躍するために1年間やってきた。神頼みというより、1年間お願いします、という思いを込めて。1年間怪我無くやりたいですとお願いしてきました」
1年間怪我無く――この時の栗原はさらりと口にしたが、なんとも胸に突き刺さる言葉に感じた。
昨年、栗原は大怪我をした。開幕からわずか5試合目、レフトでの守備機会の際に味方選手と強く交錯して左膝を強打。妙な方向に強い衝撃が走った。
その日のうちに病院に担ぎ込まれた。最初の診断では、左膝の損傷で、骨に損傷はないとのこと。しかし、もっと詳しい検査が必要とされて翌日は九州に戻って違う病院でMRI検査を受けた。すると左膝前十字靱帯の断裂、また左外側半月板損傷の疑いがあると診断された。
「一番なってほしくない診断結果でした」(栗原)
その診断を下されたのが昨年3月31日のことだった。
ちょうど1年後の今年3月31日がペナントレースの開幕戦だったのは偶然なのだろうが、その開幕戦に4番打者として出場して決勝ホームランを放つ。それは野球の神様から、何か月間も苦しい中、耐えて、耐えて、耐え抜いた野球人へのご褒美だったと感じずにはいられなかった。