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「作家というのは口には出さないだけで、自分の作品を自分の筆で自己弁護したい、世の中に正しく理解されたいと多かれ少なかれ思っているだろうとは思います。ただ、普通は踏みとどまる。寛の場合、そうやらざるを得ないところまで追い込まれた。そう考えると少し胸が痛いような気もします」

「追い込まれた」とはどういうことか。

 寛は戦中に、軍部が作家を戦地に送り、戦意高揚の文章を書かせるにあたり、作家たちの取りまとめをする等の戦争協力などをしていた。そのため戦後は、GHQから公職追放の憂き目にあっていたのである。文庫解説の執筆はその1年後のことである。

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 解説で、吉川英治(もとい菊池寛)はこう締めくくっている。

「戦いに敗れた今日、改めて封建思想の打破が叫ばれなければならぬほど、菊池氏としては、残念至極なことと思っているであろう」

食べては吐き、吐いては食べ…

 ことほどさように菊池寛は、話のタネに事欠かない人物であるが、先の門井慶喜氏が『文豪、社長になる』の執筆に際して印象に残っている“ダメ”エピソードは「食」、特に異常なまでの「食欲」にまつわるものだという。

「とにかく食べることへの執着は相当のものでした。実家が裕福ではなかったこともあり、若いころはお金に苦労したからなのか、作家として成功した後は、他人が見れば意地汚いとすら思えるほどによく食べました。今でいう、生活習慣病まっしぐら。その食欲で身体をダメにしたと言っても過言ではありません」

文藝春秋祭 大阪ビル・レインボーグリルでの菊池寛

 残されている逸話によると、「物を食べて旨いのは喉三寸だろう。だから、喉三寸で旨いと思ったら、あとをいつまでも胃に溜め置いて、胃の負担を重くするのは愚だよ」と自説をぶち、食べては吐き、また食べていたという。