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フランス人はなぜ猫に「生き方」を学ぶのか?

猫とパリジェンヌについて語ろう! 米澤よう子×ステファン・ガルニエ

2018/02/22
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フランス人にとって「悪くない」はよいのか悪いのか

>『猫はためらわずにノンと言う』 (ステファン・ガルニエ 著 吉田裕美 訳)
『猫はためらわずにノンと言う』 (ステファン・ガルニエ 著 吉田裕美 訳)

米澤 ノンと言った上で言葉を付け加えるんですね。ノンと同じようにフランスらしいと感じるのが「パ・マル=Pas mal.(悪くない)」というフレーズです。ご著書にも出てきますし、パリの日常でよく耳にします。実は私自身、この言葉の「少なくとも最悪ではない」というニュアンスによって、極度の緊張を抱えていた生活から少し解放されました。

ガルニエ 「パ・マル」はおっしゃる通り「少なくとも最悪ではない」という意味です。しかし口調や状況によって少々ニュアンスが違ってきます。楽しそうに「パ・マル」と言えば肯定的な励ましの言葉です。口をとがらして「パ・マル」と言えば「たいした事ないじゃないか」という否定的な意味に、同じような調子で口先で笑いながら言ったとしたら皮肉か嫌味だと思って間違いないでしょう。それから抑揚のない「パ・マル」は、アメリカのように開放的でないフランスの文化に根差した表現。つまり「かなり良い」と思うのに素直にそう褒めたたえたり大げさなジェスチャーで示したりしないで「悪くない」と言うのです。同じラテン系であってもフランス人はイタリア人のようにはオープンな性格ではありません。感情を表に出さないための控えめな表現と言ったらいいでしょうか。個人的な性格にもよるので、その時にどんな意味で言われているかを知るのは少し大変かもしれませんね。

米澤 いろんな意味合いがあるんですね。日常で起こる大小の「うまくいかないこと」をすくい上げる機能がありそうです。日本ではどちらかと言えば「良くない」のほうが使われることが多い気がします。「ノン」と同じで「悪い」がネガティブ印象ワードだから、一種の気遣いなのかもしれません。個人の感覚としては「それは悪くない」と言われたら「自分の意見は自分で思うほど悪くないんだ」とリラックスできて、「それはよくない」は間違いを指摘されて姿勢を正すような語感なんです。

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猫は「結構です」のような態度はとらない

ステファン・ガルニエ氏 Stéphane Garnier

ガルニエ フランス語で「Pas bien.(よくない)」と言ったら本当によくないということで裏の意味はありません。私は日本についての知識が深いわけではないのですが、日本語版を翻訳してくれた吉田裕美さんとの会話や、先ほどの「ノンを『結構です』に置き換える」というお話はとても興味深く、日本人の行動基準の典型に触れた気がしました。

米澤 「結構です」は私たちにとっては、社会生活で角を立てず物事を進める魔法の言葉なのかもしれません。今思いましたが、猫はそんな曖昧な態度はとりませんね……。

ガルニエ もしフランス語に「結構です」という言葉があっても、使うのはまずいかもしれません。言う方も聞く方も完全な否定、もしくは肯定ではないと知っているのだから、公に嘘をついているということになるのでしょうか。フランス人だったら場合によってはバカにされていると思うかもしれません。かといって矛盾するようですが、レストランで店の人から「いかがでしたか」と聞かれて「まずかった」とは、それが本当のことでもよほどでなければ相手に失礼なので言えません。他の誉め言葉を出さずに口先で「おいしかった」というのがせいぜいです。

米澤 私はパリジェンヌと仲良くなるにつれ、親しき仲こそ遠慮しないコミュニケーションが必要と教わった気がします。その時の気分を隠さないところが猫と似ている、と思ったり。私は猫とパリジェンヌのその類似性を一冊に著しましたが、両者は似ていると思われますか?

ガルニエ 確かに似ていますね。私の印象ではパリジェンヌは、猫は猫でも雌の猫に似ているような気がします。雌は雄にくらべてお姫さまのように気取っていますから。パリジェンヌは雌猫のようにお化粧を怠らず洗練されていることが多いし、独立心が強くツンとしているところなども似ているといえるかもしれませんね。

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