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巨人に“制圧”されていたあの頃…ファイターズの東京ドームコンプレックスが消えるまで

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 ファイターズが東京ドームに帰ってきた。今シーズン、主催試合はひとつも組まれてないから、この巨人戦3連戦が貴重な東京ドームでの試合だ。水道橋の駅へ降りると発車メロディーがもはや『闘魂こめて』である。2003年まで、東京ドームがまだジャアンツとファイターズ両方のホーム球場だった頃はこんなことはなかった。資料を当たると2006年7月から発車メロディー『闘魂こめて』が採用されている。ファイターズ応援仲間と水道橋のホームで「巨人に制圧されちゃった感じだね」「一気に巨人カラーが強まりましたね」と言い合ったものだ。

「日本ハムファイターズっていうのはファイトがある集まりなのか……」

 まぁ前から制圧はされていたのである。巨人との差は歴然としていた。父の話をしよう。父は若い頃、証券会社の野球チームでピッチャーをやっていて、身長があの当時の人なのに180くらいあった。もちろん巨人ファンだ。V9戦士では末次利光、瀧安治と渋いところが好きだった。とにかく巨人でなくてはならない。父に言わせれば阪神は過大評価されており、巨人の宿命のライバルになるには力不足だった。巨人阪神が並び立つ瞬間はなく、とにかくただ巨人が存在する(すいません、僕が言ってるのでなく亡くなった父の言葉です)。

 ただ問題は息子が阪神どころか日本ハムのファンになってしまったことだ。父は阪神の選手なら何人も挙げることができた。日本ハムは無理だ。一度、高校時代の日曜日、母親も妹も外出して、家に父と僕しかいないことがあった。父は何かコミュニケーションをはかろうと思ったのだろう。

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「一朗、あれか。日本ハムファイターズっていうのはファイトがある集まりなのか……」

 特に話題がなくて気まずいから言ってるに違いなかった。

「あ、うん? どうかな。特にファイトがあるのが集まってもいないかな」

「そうなのか……」

 後に文化放送の番組で「親分」こと大沢啓二氏をスタジオにお招きしたとき、このちぐはぐなやりとりを紹介した。そうしたら大沢親分は「お父さんいいじゃねぇか。ファイターズってのはファイトのあるチームだぜ。オレはそういうチームにしたかったんだ」とお褒めをいただいた。天国のお父さんファイターズはファイトのある集まりで正しかったみたいです。あと阪神への偏見は捨ててください。今シーズンめっちゃ強いです。

 とにかく父の世界観では「ただ巨人が存在する」。ライバルチームもあまり目に入らない。同じホーム球場を使用するお隣さん(ファイトがある集まり)も目に入らない。後楽園球場&東京ドームに「王ゲート」「長嶋ゲート」が設置されたのも、それが「巨人大鵬玉子焼き」の昭和の記憶(≒父の記憶)だからとやかく言わなかった。何といっても王貞治、長嶋茂雄はスーパースターだ。僕も2000年の日本シリーズ、長嶋巨人vs王ダイエーに胸ときめかせたクチだ。

 だけど、「王ゲート」「長嶋ゲート」は意地を張って「菅野ゲート」「富田ゲート」と仲間内で呼んでいた。

 たぶん今のファンには説明が必要だろう。菅野光夫は74年ファイターズのドラ1、背番号1、好守に定評があったがバッティングが非力で生涯打率.222だった。富田勝は田淵幸一、山本浩二と「法大三羽ガラス」と呼ばれた俊英、背番号3、南海から巨人にトレードされたときは長嶋の後継者とも目されたが大成はせず、張本勲⇔高橋一三、富田勝の1対2トレードでファイターズにやって来る。打撃ベストテンの8位くらいに顔を出すスラッガーだった。だから菅野も富田も地味だ。王、長嶋の輝きとは比べるべくもない。後の新庄剛志、森本稀哲の1番、田中賢介の3番と比べても地味だ。そこがいいんである。

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