歌舞伎界きっての大スターである市川猿之助の“一家心中騒動”。猿之助は幸いにも一命をとりとめたものの、明治座で公演中だった演目はあわや中止になるかと思われた。ところが、代役を振られた市川團子が、弱冠19歳にして見事に演じ切った。彼の完璧とも言える演技を見た観客は絶賛の言葉を口にし、終演時にはスタンディングオベーションが起こったという。

写真右から市川段四郎、市川猿之助、市川猿翁、市川團子、市川中車 Ⓒ文藝春秋

 この突然の代役はいかに無謀な挑戦であるのか。明星大学教授で演劇評論家の村上湛氏はこう表現する。

「運動会の徒競走しか走ったことがないのに、いきなりフルマラソンに挑戦するようなものです」

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 名門“澤瀉屋”(おもだかや)に生まれながらも、歌舞伎ファンしかその名を知らなかった市川團子。その実力に追る。

さわやかなイケメンとして歌舞伎ファンの間で注目

「團子のおじいさんは先代・三代目猿之助で当代市川猿翁、父親は市川中車、つまり香川照之です。2012年、8歳の時に『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』で初舞台を経験しました。名門の跡継ぎというだけでなく、さわやかなイケメンとしても歌舞伎ファンの間では注目されていました」(松竹関係者)

 團子は、ドラマや映画といった世界に進んだ父親に対し、幼い頃から歌舞伎の世界へと足を踏み入れている。その背景には、香川照之の意向があったのではないか、と舞台関係者は語る。

團子〈左〉と猿之助(Instagramより)

「おそらく、中車さんは息子に歌舞伎の世界で成功して欲しかったのでしょう。そのためには子どものころから歌舞伎の世界で生きて、芸を体にしみ込ませる必要があります。だから、外様役者として辛い思いをすることを承知のうえで、自らも歌舞伎の道に入ったんだと思います。團子さんもその意向を汲んだのか、祖父である猿翁さんや猿之助さんを憧れの役者として慕っていました」

 團子は、事件前の5月2日に配信された「フジテレビュー!!」のインタビューにおいて、理想とする役者像について聞かれると、こう答えていた。