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朝ドラ『君の名は』が出世作

 考えてみれば、鈴木が22歳から23歳にかけて主演し、世に知られるようになったNHKの朝ドラ『君の名は』(1991~92年)は、1950年代に大ヒットしたラジオドラマおよび映画のリメイクだった(なお、後年のアニメ映画『君の名は。』はまったく別の作品である)。

 同作でヒロインの氏家真知子に抜擢された理由のひとつは、「あの時代(作品の舞台である戦中・戦後)の顔をしている」というものであったという。これに対して彼女のなかでは、真知子は恋に積極的で、けっして古風な女性ではないと抗う気持ちもあったらしい。後年振り返ったときも、《いろんなことを勉強して役に入りましたし、「いちばん長く真知子とつきあっているのは私なのだから、彼女のことをいちばん分かっているのは自分だ」という気持ちで演じていました》と明かしている(『ステラ』2017年12月8日号)。

©時事通信社

 伝説化した作品やヒロインのイメージを忠実になぞるのではなく、自分なりに役を消化して演じるということを、鈴木は若くして実践していたのだろう。そんな彼女が先述したシンディ・シャーマンの作品に惹かれるのはしごく納得がいく。

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芸能界入りのきっかけは、クラシック・コンサート

 そもそも鈴木が芸術に関心を抱くようになったのは、趣味で絵を描いていた父親の影響が大きいという。芸能界入りも、高校時代にクラシックを聴きに出かけた地元・仙台のコンサート会場でモデルにならないかとスカウトされたのがきっかけと、芸術がらみだった。事務所に入るとやがて売れっ子モデルとなり、カネボウの水着キャンペーンガールにも選ばれた。それでも『君の名は』に出演するまでは、地元の大学に通いながら、仕事のため東京とのあいだを新幹線で往復する日々を送っていた。

 俳優としてのデビュー作は大学在学中、1989年に出演した映画『愛と平成の色男』である。上京したときに事務所の勧めでオーディションを受けたところ、その場で役が決まった。このとき、監督の森田芳光が「君はモデルという感じじゃないね。女優という感じだね」と言ったので、自分は女優に向いていると言われたような気がしてうれしかったという。ただ、実際に女優でやっていく決心がつくまでには時間がかかり、そのたびにこのときの森田の言葉を思い出して気持ちを奮い立たせた(『キネマ旬報』臨時増刊・2012年5月11日号「映画作家 森田芳光の世界」)。

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「私って愛人顔だから」

 その後も、新たな監督や作品と出会うたび転機が訪れる。竹中直人監督の映画『119』(1994年)の現場では、俳優の仕事を初めて面白いと感じた。1995年に出演したドラマ『王様のレストラン』の脚本家・三谷幸喜との出会いも大きかった。それまで正妻の役が多かった鈴木だが、同作ではレストラン経営者の愛人であるバルマン(女性バーテンダー)を演じた。