同時にサヴィルの性加害は常態化していた。彼が狙ったのは病院や養護施設、女子のための矯正施設などにいるローティーンの少女たちだった。90年までに50以上の病院や養護施設で慈善活動に関わったが、彼はこれらの施設の中で多くの人々を餌食にしたのだ。病院だけでなく、「番組に出してやるから」と連れていかれたBBCの彼の楽屋で性加害された少女たちもいた。
90年代から散発的に告発は行われたが、いずれも相手にされなかった。ロンドン警視庁(スコットランドヤード)にも匿名の告発の手紙が届いたが、証拠不十分として調査も報告もされなかった。サヴィルは警察の上層部にも顔が利いたのだ。
死後、事態は急展開を見せ…
当時、女子のための矯正施設で性加害に遭っていた女性の言葉がサヴィルをとりまく英国の状況をよく表している。
「あんな施設にいた娘の話を誰が聞くの? ジミー・サヴィルは教皇から爵位を授与され、皇太子夫妻やサッチャーとも友達なのよ。誰が私たちを信じるの?」
大きく事態が動いたのは、インターネットが発達し、SNSで告発が行われるようになってからだ。ジャーナリストたちが慎重に告発者に接触して取材を重ねた。告発が形になろうとしていた2011年、サヴィルはこの世を去る。84歳だった。
サヴィルの葬儀が盛大に行われ、テレビは追悼番組で埋め尽くされた。死後すぐにBBCが性的虐待について調査を開始したが、結局放送されなかった。BBCは隠蔽した。葬儀の10カ月後、いよいよサヴィルを告発する番組がBBCのライバル局で放送されたが、BBCは証拠がないとして告発番組を非難した。
しかし、放送された番組は衝撃を与えた。サヴィルの性的虐待に遭った女性たちが生々しい被害の実態を語ったからだ。ついにロンドン警視庁は捜査に着手することを決定。正式に記録した被害届は、強制性交2件、強制わいせつ6件、さらに30人以上の被害者が予測されていた。しかし、疑惑はどんどん膨らんでいき、警察は400件以上の事案を捜査することになる。