2008年6月8日、休日の秋葉原で7人が亡くなった「平成最悪の通り魔事件」、秋葉原無差別殺傷事件。あの日からちょうど15年が経った。

 殺人などの罪に問われた犯人・加藤智大(かとう・ともひろ)は死刑判決が確定し、2022年7月26日に死刑が執行された。派遣社員として孤立を深めていたとされる加藤は一体どんな人物だったのか。かつて元同僚に取材した記事を再公開する。

(初出:文春オンライン/2021年6月9日・2022/07/26)

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 2008年6月8日12時半すぎ、元派遣社員の加藤智大=2015年2月17日、最高裁で死刑確定=が東京・秋葉原の交差点にトラックで突っ込んだ。トラックではねた男性5人のうち、3人が死亡した。また、トラックから降りた後、ダガーナイフで男女12人を刺した。このうち4人が死亡した。事件当日は日曜日で、現場となった秋葉原の中央通りは人出の多い歩行者天国となっていた。

 加藤は、事件の目的は殺人ではなく、ネットの電子掲示板に現れた「荒らし」への抗議だったとのちに証言している。

 あれから13年が経った事件現場に、かつての同僚、大友秀逸さんが訪れていた。

事件現場で手を合わせる大友秀逸さん

事件を止められなかった友人としての思い

 大友さんは現場近くで手を合わせながら、こう思っていた。

「事件のことは昨日今日の出来事のように思い出します。逮捕時の加藤君の映像、交差点に救急車が並んでいる映像が脳裏に鮮明に焼き付いています。あの事件の前から職場がここから近く、秋葉原という街は、僕にとって日常の一部になっています。何回手を合わせても、亡くなられた方々に何と言葉をかけていいか自問自答しています。ただ、自責の念ではないですが、事件を止められなかった友人としての思いを伝えています」

 大友さんは当時、テレビで事件の発生を知ったという。

「前日の土曜日に秋葉原で買ってきたゲームを夜中までやり、事件当日の昼過ぎに起きてテレビをつけたんです。すると、加藤君が取り押さえられてる映像が流れていました。全身から血の気が引くような感覚に襲われながら、慌ててネットで状況を調べました。『心肺停止』という文言のほか、“被害者が複数人”という情報がありました。そして、明らかに鼓動が速くなり、どんどん更新される情報に釘付けになり、何時間も見続けていました」

事件から13年の6月8日、多くの人が事件現場を訪れて手を合わせた

加藤君とは本当にたわいもない話をしていた

 当時、加藤と一緒に働いていた警備員時代(仙台市)の共通の知人に電話した。

「事件をまだ知らなかったようで、『嘘やろ』とまったく信じてくれませんでした。ただ、通話を切った数分後に『カトちゃんやった……』と折り返しの電話があり、現実に起きてることだと改めて実感しました」

 大友さんは、免許がない加藤を職場に送迎していたこともある。

「加藤君とは普通のサラリーマンと同じで日常的な話をしていました。共通の趣味はアニメで、例えば、『エヴァンゲリオン』の話をしていました。本当にたわいもない話をしていたのが記憶に残っています。どこにでもあるエピソードです」