エッセイストの関容子さんによる「伝統芸能はドロドロもないと」を一部転載します(文藝春秋2023年7月号)。
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“女形”が猿之助の真骨頂
猿之助さんは子どものときから、芝居好きの火の玉小僧でした。
時は昭和の終わり頃、JR目黒駅でランドセルを背負った小柄な猿之助少年は、傘を小脇に抱えこみタッタッタッタッと、さながら弁慶が花道を引っ込むように、ホームで六方を踏んでいたそうです。
これは、猿之助さんの母でこの度お亡くなりになった喜熨斗延子さんから聞いた話。延子さんは、夫である段四郎さんの公演があれば、必ず劇場の入り口に立って贔屓筋などに挨拶していました。そこでわたしも時々、息子さんの話を聞くことがあった。いつも明るくて人柄の良い方でしたね。
小学2年生で初舞台に立った猿之助少年は、芝居が好きでたまらない雰囲気を全身にみなぎらせていました。『独楽』のだんだら模様の衣装でクルクル回転しながら剣の刃渡りをするとか、『子守』の綾竹を使った踊りとか、難しい所作事を堂々とこなしてみせました。常連客は将来恐るべしと、みんな舌を巻いたものです。
「とにかく道を歩くのでもまともに歩かないから困るんです。いつも踊りながらですから。家で一人で遊んでるときは、段ボール箱で芝居の大道具(舞台装置)を作って、『ねえ、見て見て』なんて持ってきてました」
などと、延子さんがうれしそうにお話しになっていたのが忘れられません。
今や猿之助さんは歌舞伎界を牽引する存在。「六月大歌舞伎」(歌舞伎座)の『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』(通称「吃又(どもまた)」)では、主人公である吃音の絵師・浮世又平を従兄の市川中車さん(香川照之)が務め、彼を支える妻おとくを、猿之助さんが演じる予定でした。
去年12月の團十郎襲名公演の口上では、中車さんは後列でご挨拶はなし。猿翁さん(三代目猿之助)の嫡子にふさわしくない扱いで、やはりスキャンダル報道(クラブホステスへの暴行疑惑)が影響したのかと心が痛みました。
六月歌舞伎で、猿之助さんが、復帰の途上にある中車さんを主役にして、自らは女房役に回ったのは、苦しい従兄を助けようとしたのでしょうか。その思惑が感じられて、「ああ、亀ちゃん(市川亀治郎時代の愛称)優しいな」と。同時にこれで女方にも意欲がわいてきたのかなと、楽しみにしていたんです。
6月から8月まで3カ月連続で歌舞伎座に登場する予定でした。それほどまでに歌舞伎に情熱を注ぎ意欲的に活動してきた人が、なぜ、自ら命を絶とうとしたのか。にわかには信じられません。
猿之助さんは、立役(たちやく)と女方の両方を得意としています。でも、彼の真骨頂は女方にあるのではないでしょうか。
彼の女方はしっとりとした情があって艶やかだった。『一本刀土俵入』では酌婦のお蔦が、二階の座敷から取的(地位の低い力士)の駒形茂兵衛にお金やかんざしを恵む名場面を、情感たっぷりに演じています。