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愛甲さんにとって、もっとも忘れられない兆治さんとの思い出

 ロッテファンには、浦和マリーンズ寮の“寮長”にして“史上最高齢の打撃投手”としてもお馴染みだった池田さんは、兆治さんより3歳年上ながら、ドラフトの同期。兆治さんの登板日には「昂ぶりすぎて寝つけない」彼の“徹マン”に付き合うのが恒例でもあった。

「俺も池田さんやバッテリーコーチの榊(親一)さんらと一度、同席させてもらったことがあったけど、村田さんは勝負事になるとなんでも真剣だから、自分のところから誰かにアガられるのが許せない。池田さんがアガったときなんか、その牌ぶん投げて、年長の池田さんが引っぱたかれていたからね。当の池田さんは『もらえるもんがもらえるなら、痛くてもいい』って笑ってたけど(笑)」

 兆治さんの常軌を逸した“不器用さ”をいまに伝えるエピソードには、こんな話も。現役晩年のオリックス戦で、藤井康雄にホームランを浴びたときのことだ。

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「結局、その試合は完投で勝ったんだけど、初回にいきなり2ランを浴びて気が立ってたんだろうね。ベンチに帰ってくるなり、ヒデさん(袴田)に向かって、『あんなところでまっすぐのサインなんて出すんじゃねぇ!』。そのときばかりは、ふだん温厚なヒデさんもベンチ裏で『まっすぐも何もハナからノーサインじゃねぇか!』って叫んでたよ(笑)。

 ただ、他の投手が抜きどころも考えながら投げるなかで、村田さんだけは一球たりとも手を抜かない全球入魂。その姿はやっぱり誰よりカッコよかったし、頼もしかった。野手転向後、ライトで初めて開幕スタメンに選ばれた86年の阪急戦。山田(久志)さんとの投げ合いなんかは、いまでも鮮明に覚えているし、その試合の一員になれたってだけでも誇らしかったしね」

 そんな愛甲さんにとって、もっとも忘れられない兆治さんとの思い出が、ある日の試合前。練習中に「タケシ、ちょっと来い」と呼ばれて向かった川崎球場のブルペンでの出来事だ。

「たぶんレギュラーを獲って、俺の鼻が高くなってきてると感じたんだろうね。後輩の堀(幸一)や佐藤(幸彦)らと談笑しながらウォーミングアップをしていたら、誰もいない球場内のほうのブルペンに呼ばれてさ。『レギュラーってのは人を寄せつけない雰囲気のなかで黙々と練習するもんだ』『楽しそうにやってんじゃねぇ!』ってドヤされて。

 そこからは俺も、練習のときは周りとツルまず黙々と。だから、プロ野球選手としての俺があるのは、技術面ではオチ(落合博満)さん。精神面では村田さんのおかげでもあるんだよ。その後のフルイニング出場(535試合/2018年までパ・リーグ記録)なんかも、あのとき激怒されていなかったら、きっと続いてなかったと思うしね」

この日のために配線を復活させた“ラスト点灯”をもって数多の名場面を照らしてきた照明塔は解体撤去。昭和プロ野球の“灯”がまたひとつ消えることに

 兆治さんがオリオンズ時代に背負い続けた「29」は、“サンデー兆治”にあやかった“サンデー晋吾”でブレイクした小野晋吾・現1軍投手コーチを経て、2014年からは西野勇士に受け継がれた。

 同じ本格派右腕で、高卒でのプロ入り当初は甲子園経験もなくまったくの無名。トミー・ジョン手術からの復活を果たした境遇も、西野と兆治さんは相通じる。

 先発への再転向で今季ここまで6勝を挙げる、15年目のベテラン右腕。「野球に対するストイックな姿勢を(後輩に)見せていけたら」と語るその寡黙な背中が、逸材そろう投手陣に、レジェンド兆治から連綿と流れる“ロッテ魂”を注入する──。

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