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登板日の夜は徹マン、楽しそうに練習してると激怒…ロッテの大エース・村田兆治の“凄イイ”話

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/07/04

 杉下茂さん、北別府学さんと、昭和プロ野球を彩った大投手の訃報が相次いだことで、昨年亡くなったロッテが誇る大レジェンド、村田兆治さんのことをふと書きたくなった。

 折りしも、来たる7月6日。久方ぶりの開催となる東京ドームでの主催試合は、「ロッテオリオンズ誕生50周年記念」と銘打って行われた2018年と同じ、西武が相手。

 あの日の始球式には、スパイクも履かずにマウンドに上がって、内角低めに112km/hのストレートを投げ込んだ御年68歳の兆治さんの姿もあったのだ。

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ファンを沸かせた東京ドームでの始球式。その2年後、20年8月22日のソフトバンク戦(ZOZOマリン)が“現役最後の登板”となった

 そんなわけで、今回のコラムはやや唐突ながら、濃密トンデモな“兆治ばなし”。

 野球以外のことにはとことん不器用だった「昭和生まれの明治男」の生きざまを、81年のプロ入りから丸10年、ともに汗を流した“球界の野良犬”愛甲猛さんにうかがった。

投げること以外のことに関してはとにかく不器用

 兆治さんの代名詞と言ったら、唯一無二の“マサカリ投法”から繰り出すエグい落差の宝刀フォーク。それを女房役の袴田英利さんがノーサインで捕っていた逸話は、野球ファンにはつとに知られる。

 ただ、愛甲氏によれば、ノーサインで捕れたのはくだんの袴田だけじゃない。練習相手を務めるロッテのブルペン捕手たちは、「実はみんなノーサインで捕れた」という。

「オールスターなんかでも、梨田(昌孝/当時近鉄)さんや田村(藤夫/当時日本ハム)さんが『あのフォークをノーサインで捕ってみたい』って挑戦していたことがあったけど、基本、村田さんはふだんからノーサインの人だったからね。とにかくブルペンでは、エースの村田さんが絶対。プロ1年目。初のキャンプで、あの人の隣で並んで投げることになったときなんか、心底、『エラいところに来ちまった』と思ったもん」

 81年の春季キャンプ。甲子園優勝投手の肩書きを引っさげて鳴り物入りの入団を果たした18歳の愛甲さんは、報道陣への“顔見せ”も兼ねて、兆治さんの隣で初ブルペンを経験した。

「同じタイミングでは投げないってのがブルペンでの暗黙のルールだったし、村田さんのテンポを崩しちゃいけないから、こっちはもう恐るおそる。しかも、村田さんは捕手が返してきたボールの“こね”が甘いと、無言でコロコロッと突き返して、新しいボールを要求する。その有無を言わさない感じがすんごい怖くてさ(笑)。球団としては絵面を考えてのことだったんだろうけど、俺はすっかり自信喪失。投げているのもそれまで見たことがないくらい凄い球ばかりだったし、完全に逆効果だったよね」

 そんな当時の兆治さんがもっとも重視していたのが、ランニングとキャッチボール。“兆治絶対主義”が浸透するロッテのキャンプでは必然的に、本来はウォーミングアップであるはずのそれらに、かなりの時間が割かれることになっていた。

「とにかく延々と走って、延々と投げていた印象だよね。村田さんより先に若手がやめるなんてのは当然、許されないから、もう地獄よ(笑)。遠投ひとつ取っても、90メートルぐらいの距離でひたすらやる。いまだから言えるけど、村田さんのキャッチボール相手を務めたせいで、肩ひじ壊した人はたぶん1人や2人じゃないからね」

 ちなみに、いまでは到底考えられないが、投内連携などの基本練習も、兆治さんの場合は「やっている姿は一度も見たことがない」。当然、シーズンに入っても、その登板試合ではサインプレーをいっさい使わない“真っ向勝負”がデフォルトだった。

「確かあれは西武戦だったかな。無死一、二塁でマウンドに内野陣が集まったときに、サードの水上(善雄)さんが『俺が声出しますから、そしたらセカンド(牽制)投げてください』って言ったことがあったんだよ。でも、試合に“入っちゃってる”村田さんの耳にはそれが届いてなくて、結局、次の笘篠(誠治)に普通に投げて、まんまとバスターで内野の頭を越されてさ。みんな、かぶりを振って『もうナシナシ、ヤメヤメ!』ってなってたよね(笑)」

 愛甲さん曰く、それほどまでに「投げること以外のことに関してはとにかく不器用」。それが証拠に、誰もが認める球界の大エースでありながら、兆治さん自身は守備に対して贈られるゴールデン・グラブ賞とはキャリアを通じて縁がなかった。

「グローブにコシを出すために使うアマニ油ってあるでしょ? 村田さんはマサカリのバランスを保つために、あれを2缶まるごと使って、グローブをあえて重くしてたんだよ。油のせいでガッチガチに固まってるそんなグローブで、まともな守備なんてできっこない。グローブが重すぎるせいで利き腕の右より左のほうが張ってた、なんて話も当時のトレーナーから聞いたことがあったしね(笑)。

 しかも、ゴロを捕ってからの送球もマサカリで来るから、当時ファーストだった俺からしたら恐いのなんのって。村田さんとは、公私ともに仲がよかった打撃投手の池田(重喜)さんなんかも『兆治の守備がもうちょっと上手かったら、あと20勝はできていた』と言ってたよ」

今年1月7日に富士通スタジアム川崎(旧・川崎球場)で行われたファンイベント。「村田兆治さんの思い出を胸に去り行く照明塔を見送る会」にて ©鈴木長月
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