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 50歳を超えた今も当時と変わらないキャラで、バラエティに引っ張りだこの姿は周知の通り。キャッチフレーズも相まって“独身”のイメージも強いが、「かつては熱愛が引退騒動にまで発展したこともありましたよ」と話すのはアイドル誌の編集者だ。

「1990年、21歳のときに中学時代の同級生とスキー旅行に出かけたと報じられました。井森本人も『今一番気に入っている男性』とご機嫌で話していたのですが、その翌年に実家にほど近い高崎市へ突然引っ越した。新居は井森自身が購入した新築マンションの3LDKの一室で、物件価格は5000万円超え。ちょうどレギュラー番組が1本だけになったタイミングで、相手男性が新居に出入りする様子も目撃されたことで、結婚のために引退するのではないかと囁かれました。しかし実際には、入退院を繰り返していた母親の近くにいるためだったようです」

 なんとも親孝行な娘だが、井森にはそうするだけの“事情”があったという。

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東京五輪では聖火ランナーも務めた ©時事通信社

「井森の生みの母親は2歳のときに他界していて、彼女は伯父夫婦の養子として育てられたんです。本人が事実を知らされたのはデビューしてからで、実父とも時々会っていたようですが、育ての両親への恩義を強く感じていたのだと思います」(同前)

「SMAPや嵐が活躍する土壌を作った1人」

 ひょうきんなキャラクターからは想像できない生い立ちを抱えながらも、40年近くにわたってバラエティ番組の最前線を走り続ける井森。アイドル評論家の中森明夫氏は「井森美幸という存在はアイドル史、ひいては芸能界全体にとっても大きい」と話す。

『井森大好き芸人』 アメトーーク公式サイトより

「井森さんがデビューした昭和の終わりから平成初期にかけては、『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』といった音楽番組が次々に終了し、アイドルはテレビに出る機会を失いつつありました。そんな“アイドル冬の時代”の中、新たにバラエティという活路を切り拓いたひとりが井森さんです。後にはSMAPもバラエティ番組から人気を集めましたから、そういう意味ではSMAPや嵐が活躍する土壌を作ったのも彼女たちだと言えるでしょう」

 6月7日にTBSラジオ「JUNK山里亮太の不毛な議論」にゲスト出演した際には、自身の半生をドラマ化した場合に主演を務めてほしい女優を聞かれ「広瀬すずちゃん」と答えていた井森。あながち遠い夢でもない?