文春オンライン

なぜ「体育の授業で運動が嫌いになった」「大人になってスポーツが楽しい」という人がこれほど多いのか?

source : 提携メディア

genre : ライフ, 教育, スポーツ

note

懸念される成績評価については、絶対評価を導入する。他者ではなく過去の自分と比較して、どれだけ変化したのかを評価すればいい。その際に用いるのが、数値化できない能力を意味する身体知(しんたいち)という概念だ。

技能を身に付けようとするプロセスにおいて、動き方がどのように変化し、どの身体知が充実したのかを専門家の立場から判断すればいい。ただこれには時間がかかる。数値化できない感覚的な能力を見抜くには、高い専門性を身に付けるとともに、授業以外に子供と接する時間を増やさなければならない。子供一人ひとりに目を向け、身体知をじっくり観察するための時間をつくる。それには、教員にのしかかる授業以外の仕事量をできるだけ減らさなければならない。

体育の目的はあくまで健やかなからだを育てること

あくまでも健やかなからだを育てるのが体育である。スポーツはその手段に過ぎない。跳び箱やマット運動、ソフトボールやバレーボール、バスケットボールができなくても、卒業後の人生になんら支障はない。支障が生じるとすれば、それは経験則がもたらす「運動は嫌いだ」という感情の方である。できる限りこれを醸成しないような学校体育のあり方を模索しなければならないと、私は思う。

平尾 剛(ひらお・つよし)
神戸親和大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。
なぜ「体育の授業で運動が嫌いになった」「大人になってスポーツが楽しい」という人がこれほど多いのか?

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー

関連記事