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「日本という国が狂い始めるきっかけは…」

『コクリコ坂から』は、爽やかな少年少女の恋の物語だけでなく、戦争の影響下にある父親の不在、「カルチェラタン」の存続問題、それを一気に解決してしまう剛腕理事長がクローズアップされることで、ちょっと面白い後味を残す作品になっている。

 父親のこと、戦争のこと、文化の巣窟、そして自分たちを支えてくれた恩人。これらをすべて受け継ぎ、記憶に残していくことが本作のテーマになっているように見える。もともと宮崎駿の企画意図は次のようなものだった。

「21世紀に入って以来、世の中はますますおかしくなってきている。なんでこんな社会になってしまったのか? 日本という国が狂い始めるきっかけは、高度経済成長と1964年の東京オリンピックにあったんじゃないか。物語の時代をそこに設定すれば、現代に問う意味が出てくる――」(『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』文春新書)

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宮崎吾朗監督が父の脚本に付け加えた“セリフ”

 高度経済成長と64年の東京オリンピックで、日本人は自分たちの過去を徹底的に壊した。町並みが変わり、生活様式が変わり、人々の考え方も変わった。何もかも昔のままがいいわけではないが、何もかも壊してしまう必要はなかったんじゃないか。本作にはそんな問いかけがある。俊は「カルチェラタン」をめぐる議論の最中、次のように発言していた。

「古いものを壊すことは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか! 人が生きて死んでいった記憶を、ないがしろにするということじゃないのか! 新しいものばかりに飛びついて、歴史をかえりみない君たちに未来などあるか!」

 このセリフは宮崎駿の脚本にはなく、宮崎吾朗監督が絵コンテの段階で付け加えたものだ。海と俊は、自分たちの意志で、過去の遺産、戦争の記憶、父親たちの思いや考えを受け継ぎ、継承していくことを決意した。きっと宮崎吾朗監督も父・宮崎駿のいろいろなものを受け継ぐことを決意したのだろう。

宮崎吾朗は監督として「父子」の物語に臨んだ ©文藝春秋

 徳間康快はしばしば宮崎駿に「重い荷物をせおって、坂道をのぼるんだ」と話していたという(『折り返し点1997~2008』岩波書店)。『コクリコ坂から』は、“過去”という重い荷物を背負って坂道を登ろうとしている若者たちの物語と読むこともできるのではないか。