1988年公開の『となりのトトロ』(宮崎駿監督)は、架空のトトロというキャラクターを通じて、日本の風土の魅力を再発見することを試みた作品だ。だからこそトトロというキャラクターにはその実在を信じうるだけの存在感が必要とされた。そしてその実在感を表現するため、本作は実に丁寧な描写を積み重ねてその世界を形作っている。本作の楽しみはその描写の積み重ねを見るところにある。

アニメが持つ2つの力

 高畑勲監督は、アニメーションの持つ力を2つ挙げている。ひとつは「ありえないことをありえたと信じさせるまでに現実感をもって描く力」。もうひとつが「よく知っていることをクッキリとした形に定着して、再印象させる力」。

『となりのトトロ』はまさにこのひとつめの力を存分に駆使した作品といえる。なお『となりのトトロ』と同時上映だった高畑の『火垂るの墓』は、『トトロ』とは対照的にふたつ目の力のほうに主眼を置いた作品だった。

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 では『となりのトトロ』はどのようにして、ありえないことを現実感を持って描き出したのか。ポイントになるのは手の感覚=触覚と耳の感覚=聴覚の使い方だ。

 

序盤の引っ越しの場面をふりかえってみると…

『となりのトトロ』は、サツキとメイという姉妹が、田舎の一軒家に引っ越してくるところから始まる。映画の序盤は、2人が手=触覚を使って、この古い引越し先を確認していく様子が丹念に描かれる。

 まず2人は、ボロボロになったパゴラ(テラスの日陰棚)の柱をグラグラと揺さぶる。もろくなったパゴラからはパラパラと木くずがこぼれ落ちて、2人に降り注ぐ。

 

 続いて、勝手口を開けて家の中に入った2人は、父の命で階段を探すことになる。この時2人は家中を駆け回り、扉や障子を片端から開けてまわる。こうした2人の様子の合間に、父が重そうな雨戸を力を入れて開ける様子も描かれる。

 こうした様々なものに手で触れていく描写は単なる描写にとどまらず、観客の身体的記憶を刺激して、この一家が引っ越してきた古い文化住宅を実在のものと実感させていく。

 さらに、このような触覚の描写の合間に、耳を刺激するのが「どこからともなく落ちてくるドングリの硬質な音」や「扉を開けた瞬間、ドッと逃げていくススワタリの音」といった音だ。

「なにか不思議なことが起きているらしい」様子を伝えるこれらの音が、サツキとメイ、そして観客の緊張感を高めたり、驚かせたりすることで、触覚によって保証された実在感のある世界を、ちょっとだけファンタジーの世界にズラしていく。