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支配下登録を目指す31歳、ソフトバンク・奥村政稔を支える“負けず嫌いポジティブ”の精神

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/08/18
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 どんなときも変わらない。

 どんなときも奥村投手は奥村投手だ! 

 こんな上司が居たら、「ついて行きます!」と言いたくなるだろう。悩みがあったら相談して、活を入れてもらいたい。そんな“良い兄貴感”が醸し出されている。「よし! また頑張るぞ」と背中を押して貰えそうな頼りたくなる存在だ。

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 今夏の期限までに支配下返り咲きを目指してきた奥村政稔投手。

 2018年ドラフト7位で三菱日立パワーシステムズからホークスに入団し、今年がプロ5年目となった右腕。26歳で入団し、今月14日に31歳になった奥村投手は“オールドルーキー”と言われ、タフに腕を振ってきた。昨季は1軍で4試合に登板。それまでは主に中継ぎだったが、昨年8月29日のロッテ戦でプロ初先発すると、5回1失点と好投。これが実に2年振りの1軍マウンド。巡ってきたチャンスで見事に一発回答してみせた。2度目の先発となった9月13日の西武戦では“オープナー”のような役割を担い、3回1安打無失点。ローテーションの谷間を埋める活躍で、チームに貢献した。

 ところが、“プロ初勝利”を目指した次の先発予定日直前に右肘を痛めた。その後、右肘を手術することに。リハビリの期間を見据え、今季からは育成契約となって再出発。背番号は61から126に変わったが、これまでと変わらぬ姿で、元気良く前を向き、根気強くリハビリ。そして、4月には3軍戦で実戦に復帰し、ファームの試合で腕を振ってきた。

 この夏の“支配下復帰”を目標に奮闘してきたが、奥村投手には期限を意識しすぎたり、アピールを焦ったりする様子はなかった。

「(焦りは)全然ないです、本当に。これが例えば7月末過ぎて、支配下になれんやったとしても、そこから腐ることは絶対ないと思うので。本当にただ(状態を)上げていくだけ。今までやってきたことっていうか、毎年やってきたことを今年もやるだけです」

 冷静に率直な思いを明かした。

 なんと逞しいのか。

 目指すところが「まず支配下」であることに変わりはないのだが、本当のゴールはもっと先にある。奥村投手は大きな視野で地に足を着けて、黙々と腕を振ってきたのだ。

ファームで復帰を目指してきた奥村投手 ©上杉あずさ

「1軍で活躍するっていうのが目標なんで」

 開幕時に3つあった残りの支配下登録枠。1つはアルフレド・デスパイネ外野手の再加入、1つは育成ルーキーの木村光投手が勝ち取った。そして、チーム関係者、ファン、私も含めだが、最後の1枠は奥村投手に期待する声も多かった。

 しかし、それは叶わなかった。

 ホークスはオリオールズ傘下3Aのダーウィンゾン・ヘルナンデス投手を緊急補強。奥村投手の今季中の支配下昇格は叶わなくなった。

 あんなに逞しいことを言っていた奥村投手だが、そうは言っても、実際に枠が埋まった時の心境は察するに余りある。取材しなければ……と思いながらも、どんな声掛けが適切なのか悩み、少し躊躇してしまった。

 観ている限りでは、奥村投手はいつもと変わらぬ姿で目の前の野球と向き合っていた。8月も1週間が経った頃、奥村投手に話を聞くことが出来た。すると、どんな時も変わらない、奥村投手は奥村投手だった。

「(期限を迎えて)自分的にはそこまでの変化はないんですけど、やっぱり家族とか周りの人が落ち込んでいる姿を見ると、そこでちょっと申し訳ないなって気持ちになりました。でも、もし自分が独身で家族もおらんやったとしたら、本当に何も気にしてないぐらいの。『そこじゃない』っていうところはあります」

 強くて優しい答えが返ってきた。

 そして――。

「一緒に2軍で投げてきた森(唯斗)さんやったり、(高橋)礼やったり、木村(光)より良くないと、結局1軍では投げられない。支配下になるのが目標じゃない。1軍で投げるっていうのが、1軍で活躍するっていうのが目標なんで。そう考えた時、そのメンバーにも現状、今の時点で勝てていなかったから。今、支配下になったところで、1軍で投げられないっていうのはあるんで、そこはもう自分の力不足だなって」

 誰よりも真っ直ぐに現実を受け止めていた。そして、チームメイト達へのリスペクトも感じる。

 たしかに70人目の枠が埋まった時は「『うわー』とは思ったっすけど……」としながらも、「今、支配下になっていたとして、すぐ1軍で投げられるかって言われたら……。手術して、ここまでしか結果を出せてないというところの方が悔しさはある」と自分自身の現状に矛先を向けていた。

「タラれば」にはなるが、手術からもっと早く復帰できていれば、アピール出来る期間ももっと取れていたかもしれない。実戦復帰は4月頃だったが、2軍公式戦に復帰登板出来たのは6月に入ってからだった。そこは本人が最も悔やむところだ。本当だったら春季キャンプ中にはリハビリを卒業して、チーム本体に合流予定だったが順調にはいかなかった。

「肘だけじゃないところもあった。肘は良くても肩が痛くて投げれんとかいう期間もあったんで。キャンプ行くつもりだったんですけど、全然間に合わんやった」ともがく時間は長くなってしまった。

 それでも奥村投手は平常心。本当にすごいと思う。

 リハビリ組にいると、モチベーションや気持ちが落ちてしまう選手も多い。プロ野球選手なのに野球が出来ないというのは、どんなに苦しいことか。でも、奥村投手は長いリハビリ生活であろうと、変わらぬ姿を見せてきた。

「そこらへんは歳なので(笑)。若い子と一緒にやっていますけど、自分結構言うんですよ。『ちゃんとやれ』とか『挨拶しっかりしろ』とか。そう言って自分の気を引き締めている所もありますね」

 精神面での頼もしさからも兄貴感が溢れ出る。

いつでも変わらない奥村投手 ©上杉あずさ
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