「自分が親しかったジャニー氏はいったい何者だったのか。そう根底から考え直させられるような告発でした。これまでの一連の性加害報道とは比べられぬショックを感じた」

 そう語るのは、長年ジャニー喜多川氏と仕事をともにしてきたとあるクリエイターだ。

当時まだ小学校2年生だった

 7月初旬、2日間にわたり「日刊ゲンダイ」が掲載した「告発記事」の衝撃は、業界をさらに揺るがした。あれから事態は推移し、7月25日には国連人権理事会の専門家による被害を訴える元タレントへの聞き取り調査が行われ、より国際的な問題へと発展している。8月4日には記者会見が行われる予定だ。

ADVERTISEMENT

ジャニー喜多川氏 ©Getty

 数多くのヒット曲を生み出し、昭和歌謡の父とも呼ばれる作曲家・服部良一氏。1993年に85歳で亡くなったが、その偉大な功績は現在でも語り継がれる人物だ。長男は3年前に亡くなった作曲家の服部克久氏。

 そして次男である服部吉次氏(78)が、70年ほど前よりジャニー氏から性被害に遭っていたと声を上げたのだ。

 吉次氏は当時まだ小学校2年生だったという。

「父・良一氏との縁から、服部家に泊りがけで遊びにくるようになった若きジャニー氏から数々の被害を受けたといいます。7月15日には、やはり被害にあった吉次氏の同級生の男性Mさんとともに記者会見に応じ、数年にわたる出来事の詳細を話しました」(社会部記者)

7月25日、ジャニー喜多川氏の性加害問題で、国連人権理事会の専門家による聴取後に取材に応じる元所属タレント ©時事通信社

「ジャニー氏がズボンをあげている姿を鮮明に覚えている」

 1950年代初頭、ジャニー氏は吉次氏と遊びに都内の服部家に来るM氏にも目をつけ、数十回にわたり、車のなかや映画館や劇場などで性暴行に及んでいたという。さらなる衝撃だったのは、1953年の冬、軽井沢での“事件”だ。

 ジャニー氏がつくった少年野球団のメンバーや吉次氏、M氏ら少年たち計6人と唯一の大人であるジャニー氏が滞在したのは服部家所有の軽井沢の別荘。昼間はアイススケートなどを楽しんだが夜になるとジャニー氏は少年たちに牙を剝いたという。

「会見で、Mさんは『布団に忍び込んできたジャニー氏への恐怖で泣いていたところ、隣のコテージの女性が怒鳴り込んできた。ジャニー氏は必死で否定したものの、ズボンをあげている姿を鮮明に覚えている』などと話しました。吉次さんとMさんの詳細かつ勇気を振り絞った告発に、集まった記者たちも愕然としました」(同前)

 70年にわたる記憶やPTSDとの闘い。これまでの「元ジャニーズ」の被害者たちの声に触発され、2023年のいま、会見を開くまでに至ったのだ。