「コロナ禍で重篤な状況で死にかけたような経験があったので、その中で人生観が変わったというのもありまして。次は本当に一生できる仕事を探したいなと思って休養を頂いていた時に、社会保障だったり知らないこともお恥ずかしながら多かったので。そういうことをちゃんと勉強したい、知りたいと思っていたのが、まずきっかけなんです。
そこで、2回目の都構想の否決がちょうどその時期と重なりまして。私は大阪が副首都になるように大阪維新の会が尽力してるのを一般府民として見守って応援してたわけなんですけど、否決されたことがすごくショックだったんですね。自分も中に入って活躍してみたいという思いがあって、政治の世界を志したということですね」
――そこから維新塾に通われて?
「住んでるところから近かったので、たまたま池下代議士とご縁があった。選挙を一緒に戦わせて頂いて、秘書としてお勉強させて頂きながら、次は座学で学ぶということで維新塾に入りました」
セクシーアイドルとは認識していないですけれども
――市議選に出るにあたって、面接を?
「もちろん、支部のなか、選挙区の中で先輩方と民間の支部の役員さんに面接をして頂いて、そこから本部の面接に行く形で」
――矢崎まこと名義で、セクシーアイドル活動を?
「セクシーアイドルという風には認識していないですけれども、水着、タレントのお仕事はさせて頂いていたと思います」
――その時の経験が市議活動に生かされている?
「残念ながら、有名人と呼べるほど売れなかったという経験から、水面下で努力しても報われないしんどさだったり、逆にテレビとか写真1枚で表す表現であるんですけれども、そこに至るまでは日々の努力の積み重ね。そういう部分は少し、ジャンルは全く違うんですけれども、自分の中では、はい」