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今回の『私の消滅』では、かなり無意識を使うことになりました――中村文則(1)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2016/07/30

genre : エンタメ, 読書

ミステリーや物語性があったら純文学じゃないという意味が分からない

――そう、これまでに何度もおうかがいしていますけれど、中村さんの作品は純文学だけど最近ではミステリー小説と分類されることもある。ご自身ではどういう感覚ですか。

中村 僕は純文学作家ですよ。純文学作家なんだけれど、ミステリー要素があったら純文学じゃないっていうのは意味が分からないと思っているんです。純文学というのは人間を深く書くもので、そこに書かれている言葉の全体で、その全体以上の意味を表現できているのが文学で、その中で深いものが純文学だと自分では思っていまして。だからミステリーや物語性があったら純文学じゃないという意味が分からないです。じゃあギリシア神話は純文学じゃないのかとか、聖書は純文学じゃないのかとか、いろんなことを考えてしまいますね。自分では新しい純文学なんじゃないのかなと思いながらやっています。アメリカでクライムフィクションだと言われて「ああ、そうなのか」と思うし。イギリスでちょっと面白かったのは、イベントのモデレーターの人に「『銃』(03年刊/のち新潮文庫)は本当に素晴らしいクライムノベルだ」と言われて。「なんで『銃』がクライムノベルだと思ったんですか?」って訊いたら「何を言ってるんですか、銃が出てくるじゃないか」って。つまりはみんな、銃が出てくるからクライムノベルだとか、心理描写があるから純文学だとか、好きなように読んでいるんですよ。

銃 (河出文庫)

中村 文則(著)

河出書房新社
2012年7月5日 発売

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――国によって作品が置かれる棚が違うということを前におっしゃっていませんでしたっけ。ミステリーの棚であったり、文芸の棚だったり。

中村 そうかもしれないです。ただ、アメリカではクライムフィクションの棚に置かれていることも多いんですけれど、でもニューヨークタイムズの書評で「クライムフィクションよりもスリリングだ」みたいに書かれてありました。結局、カテゴリーはあくまでも形式ですよね。

 今回の『私の消滅』も、純文学です。「ミステリー性があったら純文学じゃない、と言うのをやめませんか」と言いたいかな。そういうのは本当にもういい、って思っているので、もしこれがミステリーだと言われたらミステリーでいいし、純文学だと言われたら純文学。本人はどう思っているかと訊かれたら「純文学だと思っています」と言う。ただ、それだけです。

――ミステリー作家の方から何か感想を聞いたことはありますか。大御所の方から褒められたという話を耳にしましたが。

中村 「従来のミステリーは枠にはまりすぎているので、そうじゃないところがいい」と言っていただいたので、「でも本格ミステリーならもっとこうしないといけないとか思います」とお伝えしたら「全然気にしなくていい」と言われました。僕はどうしてもリアリズムにこだわるので、いわゆる読者が考える従来のミステリーは難しいですね。

――この状況やこのトリックは実際に成り立つのかと考えると難しい、ということですか。

中村 そもそも山荘とか、人が大勢集まっているなかでは殺さないだろうとか考えてしまって。これだといわゆる読者さんが想定するミステリーは書けないですね。

――『私の消滅』のあの真相には驚きましたが、中村さんにとってあれはリアリズムなんだ、と。

中村 ある試みに関して、一回で成功せずに、二回目でというところなんかにリアルさを保とうとする努力があると思います。厳密に整合性を考えるのが純文というか。動機の整合性とか、書き方や流れをリアリズムでいくというか。他のミステリーとは明らかに違う書き方をしていると思います。

――さきほど手記やモノローグがしっくりくるとおっしゃいましたが、高校生の時に読んで衝撃を受けたというのが太宰治の『人間失格』で、これが原点にあるというのも大きいかなと思ったんです。

中村 そうですね。あれも「ザ・文学」という感じがしますね。僕の中では。最初に三枚の写真の話があって、その写真の人の手記が始まる。ある意味典型的なんだけれども、あんな素晴らしい始まり方って、永遠だなと思って。

 僕は『人間失格』を読んで、太宰の典型的なファンの反応をしたんですよね。これは自分だな、という。それが純文学に入るきっかけでした。太宰って内面を揺さぶってくるから、揺さぶられる分、嫌いという人もいっぱいいるんですよね。でも僕はやっぱり、それが文学だと思います。とにかく読んでいる人を揺さぶりたい。