人間の意識とは何かということをフィクションで書くと、説得力がちょっと失われていく面がある
――本作の中の手記では、連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮﨑勤や、自殺サイト殺人事件の前上博といった人物についても言及されますね。
中村 前からノンフィクションをやってみたいという気持ちがあるんですが、小説の依頼がずっと続いているので、なかなか手が出せなくて。ノンフィクションをやるなら宮﨑勤か前上博か、山地悠紀夫にしようと思っていました。それで宮﨑勤について調べていたんですけれど、これは小説に合体できるなと思ったんですよね。
人間の意識とは何かということをフィクションで書くと、説得力がちょっと失われていく面がある。現実から離れてフィクションを楽しむのも素晴らしい経験なんですけれども、そのなかで実在の例を挙げていくと説得力が増すし、この世界と地続きになっていると感じられる。実はこの世界ってこうなの? とか、自分たちの記憶ってこうなの? などと考えられる。実際の洗脳の事例や歴史などを入れつつ、かつ犯罪者の内面の奥の奥まで掘っていくことで、自分のノンフィクションをやりたいという気持ちと、今回の小説で説得力を出す効果がうまく合体したんですね。ここに書いた宮﨑勤に関する考えは僕のオリジナルです。これまでの他の人の宮﨑論とは違います。自分でずっと、彼になりきるようにして書いていって、全部が合体したんです。宮﨑勤を出した理由は、たぶん、彼は現代の犯罪のはしりというか、始まりにあるなと思ったからなんです。犯罪というものにも歴史があって、時代性がある。宮崎勤の事件の延長上にあるのが神戸の連続児童殺傷事件だったのかなと思うんですよね。
――よくこの枚数に収めましたよね。後半で二人の犯罪者の共通点が指摘されますけれど…。
中村 それも無意識の領域ですね。一回編集者に原稿を渡した後で、ああ、そうか、だからこの人はこの二人を調べていたのか、って気づいて書き直しました。無意識では分かっていることを、後から意識が追いつくんです。
僕はずっと犯罪を書いてきたので、一回本当の犯罪者の内面を、他のノンフィクションライターの人とは全然違う形で書きたかったんです。心理分析としてやるのも、今回の挑戦でした。それで宮﨑勤を選んだわけですけれども、調べるのに本当に苦労しました。供述が二転三転するんですよね。矛盾しているんです。どれを採用するかで全然変わってくるんですよ。真実はこうだろうな、と考えながら書きました。
――中村さんはデビューの頃から一貫して、犯罪者や、犯罪を起こすか起こさないかギリギリのところにいる人について内側から書こうとしていますよね。
中村 そうですね。これはもう作家の根本みたいなところですよね。もともと、自分が高校生くらいの時に、すごく精神状態がやばくて、自分でも自分が何をしでかすかちょっと分からない、というところがあった。だから僕が犯罪を書くのは、学者さんが分析をして犯罪を書くんじゃなくて、犯罪者一歩手前の人が小説を書いているのに近いところがあるんですよ(笑)。だからこういう描写になる。
――これまでの作品にも、手記などモノローグが多いですよね。
中村 好きなんですね。手記ってやっぱりその人が自分と向き合う行為ですし、独白ってその人の内面が一番出ますよね。普通に社会生活を送っている人が実際は何を考えているのかって知りたいと思うし、独白を書いている時はすごくテンションが上がるんです。手記を書いている時はすごくしっくりくる。「ザ・小説」っていう感じがする。だから今回も、いろんな形で独白が入っていますね。手記で始まった後に物語が急に動いたりして、純文学であって、ミステリーであって、でもトータルでは純文学だ、みたいになっていて…。ジャンル分けは人によりますけどね。ここまでくるともう、どっちなんだっていうのは誰にも分からないんじゃないですか。