――新作の『私の消滅』(2016年文藝春秋刊)は〈このページをめくれば、あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない。〉という、非常にそそる一文から始まりますよね。そう書かれた手記を読む一人の男が巻き込まれていく不条理な状況と、悲惨な幼少期から始まる手記の内容が並行して進んでいく。先入観なく読んだほうが面白いと思うので、このインタビュー記事ではあまりストーリーに触れないようにしますが。
中村 最近、『教団X』(14年集英社刊)で人間とは何か、人間の意識とは何かという話を書いて、次の『あなたが消えた夜に』(15年毎日新聞出版刊)で精神分析を取り入れてもっと深層心理を突いて、これはもっと掘れると感じたんです。どういうアプローチにしたらいいのかはなかなか分からなかったんですが、“私”というものは不安定で不確定なものだというところから“記憶”をテーマにして、自我について書くことにしたのが始まりですね。ただ、これだけいろんな伏線を張るというのはノートで構想を練る段階では無理なので、今回はかなり無意識を使うことになりました。
――え、無意識を使う、ですか。手記も現実も予想もしない展開になって複雑な事情が浮かび上がってくるので、むしろ創作ノートできちんとプロットを組み立てたのかと思いました。
中村 ここまで複雑になってくると、自分の意識でコントロールできないんです。だから、まず書きますよね。書いたものを途中で振り返って読んで、これはこういう意味だと気づいて、また書き足していくんですね。無意識の中では完成しているものを、自分で見つけていくのに近いです。なんでこういう展開なんだろうと思いながら流れに任せて書いていって、途中で読み返して、あ、こことここが繋がっているんだと気づいて、それを書き足していく。イタコに近いですよね(笑)。そういう無意識的なものを、これまでの作品で一番使いました。最後の2行(※最後から2段落目の2行)も、編集者に原稿を渡す3日前くらいに思いついて書き足したんです。ああ、こういうことだったんだな、って気づいて。
――残酷な真実の告白であるものの、読者としてはああ、なるほど! と思えるというあの箇所ですよね。
中村 計算していたかのように美しく終わっているんですけれど、あれは最後に書き足したんです。計算していないんです。あまり計算していくと、本当に作り物に見えてしまう。文章に生命力というか、エネルギーを持たせるには、こういう書き方が一番いいかなという感じですね。計算して、意識でコントロールできる領域だけの小説は、つまりその作家の能力を越えていない。そこからプラス、どれだけ無意識をつかえるか。
人間の意識ではちょっと感知できないところまで集中して降りていくという作業です。これまでの僕が書いたものでは『王国』(11年刊/のち河出文庫)がいちばんこの書き方に近いかな。それと実は『教団X』も結末は決めずに、考えながら書いているんですよね。このやり方で全部しっくりうまくいくようになったのはここ数年ですね。
――でもそれは土台がしっかりしているからですよね。今回だったら、意識とは何か、自我とは何かについて深く考察を重ねた後だから書けたのでは。
中村 だと思うんですけどね。でもかなり不思議でした。読みかえして、ああ実はこういう話だったのか、と。よく書いたなって自分でも思う(笑)。
作家になって14年目なんですが、なんか小説脳になっているんです。脳が無意識下でフル回転している。それを僕が見つけていく。
――無意識で書いたものが、記憶の積み重ねで作られる人間の自我とは非常に不確かなものであると突き付けてくる内容になっているという。
中村 人間というのは、どのようにもなってしまうというか。今回、洗脳がテーマのひとつとしてありました。『教団X』で「洗脳とは脳を洗うと書く。恐ろしい言葉だと思いませんか」みたいな文章があるんですが、それを突き詰めてみたんです。もし記憶というものが変えられるなら自分が体験することとは何だ、世界とは何だというところまで話が繋がっていく。『教団X』はすごく長い小説ですが、今回は短く、一点集中で突き詰めてやっていきました。