魔球を伝授する。快速球の投げ方を教える。そればかりが、指導者の仕事ではない。日焼けした表情にサングラス。ベテランコーチは、厳しい言葉にユーモアを交えながら、声を張り上げる。目尻は笑っているが、基本的なプレーに関しての指摘には妥協がない。フィールディングや牽制球、バント処理にランニング。地味に見えても、こういったことが勝負を分けることを、彼は知っている。ときに声を張り上げ、ときに手を叩いて大笑いする。喜怒哀楽を共にしながら、彼は多くのドミニカンを戦いの場に送り込んできた。
2018年8月には月間18試合登板で防御率0.51(月間MVP)、2019年には一軍で67試合に登板したヘロニモ・フランスアである。彼は、「カープが自分を変えてくれた」と言って憚らない。
球は速いが、コントロールが安定しない。投げること以外の総合力に課題があるフランスアを指導したのが、ドミニカのカープアカデミーコーチの古沢憲司だった。
「全力でぶつかれば、わかってくれるはず」
「育てて勝つ」。このカープ史を、『「育てて勝つ」はカープの流儀』(2020年・カンゼン)という一冊にまとめた。このときの取材メモに、古沢の言葉が残っていた。
「彼は球が速いだけで、コンビネーションも何もなかったです。その大事さをわかってもらいたかったです。チームが外国人投手に求めることは、競った場面で投げることです。ですから、こういった細かいことが大事だと説明しました」
文化も違えば、育った環境も違う。おまけに、若い。天賦の身体能力を持つ青年の関心が、「快速球」や「魔球」に向くのは無理もないだろう。しかし、古沢も譲れない。
「全力でぶつかれば、わかってくれるはず」
日本式の走り込みや投げ込みも課せば、強い口調で基本練習を徹底させることもあった。
これらの日々が、選手のキャリアの土台となったことは、フランスアの冒頭の言葉が雄弁に物語る。
この指導方針は受け継がれ、育成のカープの土台となっている。2004~06年にカープでプレーした、ファン・フェリシアーノである。カープアカデミーでコーチを務めるが、スタジアムでの通訳姿の印象も強いかもしれない。
「配球をしっかり勉強しなさい。投げること以外も大事にしなさい。古沢さんによく言われました。でも、自分の選手時代は、その重要さが十分には理解できていなかった気がします。でも、今になって、その大事さを感じています。投球の間や配球。自分はそこまでいかなかったです。だから活躍できなかったように思います」
現役時代は3シーズンで20試合、勝ち星はゼロに終わった。150キロを超す快速球の持ち主からすれば、不完全燃焼の感も否めない。しかし、今、その経験を後進の育成に役立てている。