日本の色に染まったフェリシアーノの価値観
2021年に50試合登板を果たしたのが、ロベルト・コルニエルだ。43歳になったフェリシアーノは、自らが受けた教えを未来ある165キロ右腕に継承する。
「バント処理をちゃんとしましょう。それは、自分のためであり、チームのためです。緩急を使うことも大事です。ボールを長く持つなど、投球の間合いを変えることも効果的です」
試合の映像を、一緒に見ることもある。
「1球1球、このボールの狙いは?と会話をします。コルニエルはよくわかっています。こういったところからも、なにかプラスを見つけてくれればと思います。自分が選手のときは、速い球を投げることばかりを考えていました。力だけじゃない。投げるだけじゃない。だから勉強しないといけません。これは古沢さんに教わったことです」
野球を語るフェリシアーノの価値観も、すっかり、日本の色に染まっている。
「あの時代、自分は勝てなくて、ジョン・ベイルはとても成功しました。その理由は、投げることだけでなく他のこともできたからだと思います。私は、ドラゴンズの川上憲伸投手のプレーが大好きです。あのフォームも好きですし、全てのことが高いレベルでできますから。映像を見る機会も多いですね」
タイガース、ライオンズ、カープで通算87勝をマークした古沢憲司さんが、今月22日お亡くなりになった。なかなかに迫力のある表情から、ユーモア溢れる声が飛ぶ。そのギャップに興味を惹かれた。さらに、スペイン語の挨拶を交えるのだから、その存在感は半端なものではなかった。
猛練習でキャリアを切り開き、豪快で、人情味があって。走り込み、投げ込み、飲みニケーションの安仁屋宗八(野球解説者)をして「野球への考え方が極めて一致する」と言わしめる人物である。
タイガースにはテスト入団で、16歳にしてプロ初登板を果たした。1974年には15勝をマーク、一躍、中心選手の仲間入りを果たした。トレードも経験し、3球団で87勝。タイガースやカープでコーチを務め、カープアカデミーではポテンシャル豊かなドミニカンを鍛え上げた。
華麗なようで、波乱万丈で。厳しいようで、優しくて。75年の野球人生、叩き上げの猛者の眼差しは、これからも赤いユニフォームに注がれることだろう。
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム ペナントレース2023」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/65175 でHITボタンを押してください。
この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。