2022年5月11日、日本中が衝撃に包まれた上島竜兵さんの訃報。妻である上島光さんも「思ってもいなかった」と振り返ります。
ここでは、光さんによるエッセイ『竜ちゃんのばかやろう』(KADOKAWA)から一部を抜粋。竜兵さんの急逝からたった数か月後に、光さんの身に振りかかったさらなる「不幸」とは……。(全2回の2回目/前編を読む)
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胸にしこりが…
竜ちゃんがいなくなって、私のひとりで残されてしまった寂しさを癒してくれたのは、信頼できる友人たちの存在でした。困ったときに助けの手を差し伸べてくれて、心にそっと寄り添ってくれます。友人たちの優しさや心からの励ましに、何度救われたことでしょう。
引っ越しのときも、荷造りをしてくれた人、都内から荷物を運んでくれた人、荷物を搬出する人、搬入する人、掃除をする人、友人のほかに私の親族も合わせて15人以上が、2カ月間、仕事の合間を縫って何日も手伝ってくれました。
様々な手続きに引っ越しと、竜ちゃんが亡くなった直後から、さまざまなことに追われて、ゆっくりと身体を休める日など一日もありませんでした。
食事は取っていましたが、食べる量が減り、体重もどんどん減っていきました。心配する周りの人には、「ちょっと太り気味だったから、ちょうどいいのよ」と、答えていました。
でもさすがに倒れたらまずいと思い、一緒に痩せてしまった母とふたりで、かかりつけのクリニックで、栄養剤の注射を1日おきに打ってもらい、どうにか乗り切ることができました。
実は私は、その頃、身体に起きていた、ある異変に不安を覚えていたのです。
都内のマンションから実家への引っ越しが終わった夜、福岡から数日間、手伝いに来てくれた友人の真理さんと一緒になじみのレストランに行き、そこで初めて自分の身に起きていることを相談しました。
「それは大変! 急いで検査をした方がいいよ」
実はひと月ほど前、お風呂で胸にしこりがあることに気づいていたのです。
毎日の忙しさで瞼や口元の痙攣も続き、歯も痛くなり、疲れの限界はとっくに超えていました。そこに今度は、予想外の胸のしこりです。
そのとき、ふと思い浮かんだのが、私たち夫婦が以前の住まいの近くにあるお寿司屋さんで知り合って、仲良くなった医師のY先生でした。
すぐに連絡すると、Y先生の病院で診察することになり、指定された乳腺外来へ初めて伺ったのです。