写真を用いた作品の発表を続けるホンマタカシの新作が、東京・東神田のギャラリーTARO NASUで開催中。展名を「Fugaku 11/36 - Thirty six views of mount fuji」という。「36の富士山の眺め」と直訳してみると、どこか聞き覚えある言葉になった。そうこれは、葛飾北斎の代表作として知られる浮世絵版画「冨嶽三十六景」を踏まえた作品だ。

"mount FUJI 6/36" ©2017 Takashi Homma Courtesy of TARO NASU

名作「冨嶽三十六景」を徹底的に利用

 うねる大浪の向こうに小さく富士の山容が見える《神奈川沖浪裏》や、朝焼けを受けて真っ赤に輝く山肌を表した《凱風快晴》など北斎の、いや江戸浮世絵全体の、もっと言えば日本美術を代表するイメージを含むのが「冨嶽三十六景」シリーズ。関東一円から遠くは名古屋まで、各地から望む富士山の風景を版画作品にしてある。

 葛飾北斎が70代の円熟期になって手がけた版画作品で、江戸時代後期に浮世絵として刊行された際には江戸庶民のあいだで大評判をとった。あまりに人気が高いため、当初は36枚で完結する予定だったものを10枚追加。「三十六景」とうたっているのに、じつは46枚の作品が存在する。

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©Takashi Homma Courtesy of TARO NASU

 この名作に、ホンマタカシが果敢に挑んだ。北斎に倣って計36点の富士山写真制作に取り組み、今展ではそのうちの11点がお披露目されている。

 北斎にかぎらず、日本のシンボルたる富士山はこれまで無数の絵に描かれ、膨大な写真に撮られてきた。ビジュアル表現のモチーフとしては、手垢がたっぷりと付いてしまっている。いまさら富士山で新しい表現をするなんて可能なんだろうか。ついそんな疑問が湧く。

 そこでホンマがとったのは、「冨嶽三十六景」を徹底的に利用するという手段。なるほど、富士山に関する最も有名な表現をさらにトレースすることで、外界をそっくりに写し出し複製をつくる写真というメディア最大の特性を炙り出した。北斎の三十六景は版画手法を用いた複製作品。同じく複製の容易な写真によって再現を試みているという類似性もおもしろい。

©Takashi Homma Courtesy of TARO NASU

モネ、セザンヌの系譜に連なる写真作品

 今作をつくるにあたって、ホンマは機材にピンホールカメラを用いた。暗箱の一部に小さい穴を開けて光を呼び込み、内部の印画紙に像を写し出す原始的な機構だ。レンズを使わないため精細な像は得られないけれど、光が直接印画紙にお絵かきをする仕組みになっているゆえか、不思議な生々しさが出る。

©Takashi Homma Courtesy of TARO NASU

 ピンホールカメラの効果は絶大だった。ホンマ作品の富士山は、何もないところからぬっと現れ出てきたような存在感が際立つ。地平線の向こうに小さくピョコリと浮かび上がっているだけでも、その姿には堂々たる主張が感じられる。富士山から比較的距離の近い山梨県で撮られたモノクロ写真では、黒々と浮かび上がる稜線の単純な美しさに見惚れることしきり。

 数かぎりなく描かれたり撮られたりしてきた富士山なのに、かくも新鮮な見え方がするのは驚きだ。この山にはよほど特別な、汲めども尽きぬ魅力が眠っているということだろうか。

 アート用語に「ジャポニスム」という言葉がある通り、日本美術が19世紀の一時期、西洋の美術に多大な影響を与えたことは広く知られている。中でもダントツの人気を誇ったのが北斎だった。多くの野心的な西洋画家たちが北斎の技法、構図、モチーフを摂取せんと夢中になった。

 ひとつのモチーフを繰り返し描く「冨嶽三十六景」方式も、大いに真似されることとなった。印象派の大家モネが晩年に無数描いた《睡蓮》のシリーズもそう。セザンヌが故郷の単独峰を描いた《サント・ヴィクトワール山》シリーズもしかりである。

©Takashi Homma Courtesy of TARO NASU

 よきものが時を超え何度だって参照され、繰り返し利用されるのは当然。21世紀の現在、モネやセザンヌに次いで今度はホンマタカシが、「冨嶽三十六景」を使い倒しているというわけだ。美術の歴史とは、こうして一歩ずつ積み重ねられていくのだと実感できる展示になっている。