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減っていく出場機会の中で

 移籍をきっかけに、チームプレイを通して才能が見事に開花した藤田は、13年、14年と、2年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得し、野球選手としての旬をまさに迎えていた。16年には、人工芝を採用するグラウンドが多い日本の球場において、楽天モバイルスタジアムは、天然芝を採用。前者よりも圧倒的に内野守備の難易度が上がるこのグラウンドで、3度目のゴールデングラブ賞を受賞。名実ともに、球界を代表する内野手となっていた。

「プロ野球選手と言っていいような成績がついてきて、『やっと、プロ野球選手になれた』っていう感覚やったな。でも、守備でホンマに“間”が掴めてきたのって、この時くらいやなぁ」

 かつて見た、石井琢朗の無駄のない洗練された動き。あの意味をようやく理解し始めたが、今度は体の衰えを無視できないようになっていく。若手の台頭、度重なる故障もあり、出場機会は徐々に減っていくこととなる。2021年、39歳になった藤田は、ついに1試合も一軍でプレイすることのないままシーズンを終え、同年10月、球団から戦力外通告を言い渡された。功労者への配慮として、指導者の道が用意されていたが、藤田には忸怩たる想いがあった。

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「なんとか、40歳までプレイしたい。その想いが強かった。そして何より、あの大観衆、大歓声の中で、もう一度、もう一度野球がやりたかった」

 2020年に発生した新型コロナウイルスの影響で、プロ野球では無観客試合が開催されるなど、変則的なシーズンを送った。21年には観客こそ動員されたが、声を出しての応援は禁止されていた。この2年を経て、プロ野球の舞台でプレイするということの意味を心底理解することとなる。

「あれだけのお客さんの前で、あれだけ応援されて野球ができることが、普通じゃないっていうことが初めて分かった。どれだけ、自分が幸せやったかということ。だから、もう一度、その中で野球がやりたい。それだけやった」

 39歳の選手が二軍で結果を出すことは稀である。大ベテランとして扱われ、出場は限定的になり、多くの場合、引退に向けた残りの野球人生を噛み締める期間として扱われがちである。しかしこの年、藤田の2軍での成績は、55試合に出場し、打率.292、2本塁打、10打点と、野球選手として活躍できることを証明し続けた。

「気持ちが切れなかったのは、“もう一度、あの歓声の中で野球をやりたい”。ただ、それだけやった」

 戦力外通告が発表された直後、意外なところから連絡が来る。古巣、横浜DeNAベイスターズである。

「獲るとか、獲らんとかじゃなくて、『今の気持ちを聞かせて欲しい』って。もう一年、どうしても現役でやりたいって伝えたら、『分かりました』って。会話は、それだけやった」

 後日、横浜DeNAベイスターズは藤田一也の獲得を発表。10年ぶりに、横浜のユニフォームに袖を通すこととなった。球団は、コーチとしてではなく、あくまで“戦力”として藤田を獲得した。

大歓声の中で

「楽天におる時から、すごいチームになったなぁと思って見てた。俺がおった時にはない盛り上がり。チケットも買えない。それくらい人気球団になった。そんな中で、選手として、戦力として評価してもらって帰って来れて、こんなに幸せなことはない」

 引退を決意した解放感からか、どこか人ごとのように、優しく振り返る。集中力を繋ぐ唯一の望みだった「大歓声の中での野球」は、古巣横浜で実現した。10年前の、何倍も、何十倍も大きな声援となって。

「最後、あのまま2軍で終わるのと、こうやってまた大歓声の中で野球してから終わるのでは、全然違うよな。俺は、ホンマに幸せやと思うわ。ようやった。やり切ったよ」

 辛いこと、苦しいことの方が多かった。苦しんだ割に、いいことは少なかったように思う、と現役時代を振り返った。それでも、なぜ、プロ野球選手を続けたのか。そんなに苦しい世界に、なぜ恋焦がれるのか。

「自分の得意なことを、多くの人に見てもらえて、それで、『勇気が出ました』『生きる希望が湧きました』って、そんなん言ってもらえる職業、他にある? 2013年の優勝の時なんて、東北の震災の後やったから、ファンの声はホンマに力になった。苦しい想いもするかもしれんけど、こんな自分でも人に影響を与えられる、こんなに幸せな職業は、他にないよ」

 藤田の口癖は、「俺、頭悪いからよう分からんけど」である。そんな藤田にしては、なんだかカッコいい締め方だったな、と思った矢先、「まぁでも、しんどいよ」と、付け加えてきた。相手に緊張感を与えないこの辺りは、天然なのか、計算なのか。

「これで、腸の調子よくなったらええねんけどなぁ。もう、20年くらい、下痢やで」

 最後の最後に、なんちゅう締め方なんだ、と思いつつ、それもまぁ、藤田さんっぽいなぁ。来年から、あの芸術的な守備が見られなくなると思うと、たまらなく寂しいが、これも一つの時代が終わったということか。選手、球団職員、ファン、全ての人から愛された野球選手、日本一守備が上手いと言われた野球選手、藤田一也。本当に、お疲れ様でした。

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