大正から戦後を舞台に、二人の女性の不思議な絆が描かれた『襷がけの二人』(文藝春秋)。著者の嶋津輝さんが、作品にこめた憧れの女性への想いを綴りました――。
◆◆◆
婦人誌で出会った家事の達人・幸田文
美容師見習いと思しき若い店員から手渡されたのは、明らかに五十代以上のミセス向けの婦人誌だった。当時まだ三十代であった私は、若い美容師見習いの雑誌のチョイスにうっすら傷つきつつ、頭に巻かれたタオルのせいでよけい年嵩に見える顔をうつむけ、カラー頁ばかりで持ち重りのする雑誌に目を落とした。そしてしなやかな紙質の頁をどんどん繰った。
悔しいことに、どの記事も特集もひどく面白いのだった。どれくらい面白かったかというと、そのあと書店に寄って同じ雑誌を購入して帰ったくらいである。
特に面白かったのは「丁寧な暮らし」系の特集で、そのなかで、家事の達人の一人として紹介されていたのが幸田文だった。
少女の頃から父である幸田露伴に厳しく家事を仕込まれた、とある。掃除を教わるにもはたきを原稿の反故紙で手造りするところから始まり、箒で天井の煤を払えば女はいつも「見よい」恰好でやれと叱られる。この調子で父から家事全般を教え込まれた結果、作家となってから一時断筆して芸者屋で女中をした際には、あれはいったい何者かと近隣で噂に上るほどの有能ぶりを見せたらしい。
私は俄然興味を持った。
自分自身がぐうたらなせいか、家事が得意な人への憧れがつよい。生活系の雑誌が好きだし、スローライフを題材にした映画も好きだし、Eテレの日曜18時台にやっているような文化人の暮らしに密着する番組は必ず録画する。出演していた料理研究家やフードスタイリストが自分好みだと、最低でも10回は視聴する。憧れというより、執着に近いかもしれない。その人が出した本は余さず読むし、ウェブのインタビュー記事にも逐一目を通す。