「幸田文=私の運命のひと説」は妄想だったか!?
そのうち百枚を超えるものを書けたので、新人賞に応募してみた。すると最終選考に残りましたという電話がきた。
選考の日までの間、私は大いに妄想をたくましくした。このときの私は四十歳をちょっと過ぎたところ。幸田文が露伴の死後文章を発表したのも四十を過ぎてからだ。新人賞を穫れたら、幸田文と同じ年代に世に出ることになる。ひょっとして私は、幸田文の系譜をたどる作家になるのではないだろうか。幸田文は私の師、運命のひとなのではないだろうか……、などなど。
結果は落選で、膨らんだ妄想ははかなく霧散した。私は「幸田文=私の運命のひと説」をすぐに捨て去ることができず、幸田文と私との共通項を見出すことで失意をなぐさめた。
ともに父親が厳しい。ともに離婚歴がある。出来のよい姉と末っ子長男に挟まれた真ん中っ子というところも同じ。なによりどちらも四十を過ぎてから筆をとった――。それ以外の共通していない数々の点には目をつぶり、このまま何も起こらないはずはないという寄る辺ない予感をよすがに、その後も細々と投稿生活を続けた。
最初の落選から数年が経ち、私はオール讀物新人賞を受賞した。
受賞作「姉といもうと」は、幸田文「流れる」の主人公・梨花に憧れて女中になる姉と、その妹の話である。手の指に欠損がある妹の、なくしたものを嘆かない大らかな人間性が話の主題で、幸田文には作中のアクセントとして、いわば小道具的に登場してもらった。大きな事件の起こらない短い小説の中で、話に深みのようなものを持たせる効果はあったように思う。タイトルを「いもうと」と平仮名にしたのも、幸田文の「おとうと」を意識してのことだ。
さすがにもう私は、自分が幸田文の系譜を継ぐなどという大それた妄想をすることはない。ただ、幸田文の存在なくして、自分の人生に小説を書いて発表するなどという妙な出来事は起こらなかったように思う。川べりの草地や河底の石が水の流れを変えるように、すれちがいざま肩がぶつかっただけの人に身体の向きを変えられることがある。あの日私にミセス向け婦人誌を手渡した美容師見習いや、その雑誌の編集者も、運命のひとなどと大袈裟なことは言うまいが、運命の流木のような存在だったと思う。