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 お互い憎しみはあっても、形式上は詫びを入れる。相手が詫びを受け入れてくれたら、それ以上は何も無い。しかし詫びを入れても相手が憎しみを捨てきれず、あとから何かをやってきたら、それは立派な手打ち破りだ。そうなれば思いっきり相手を叩きのめす。掟破りは、いつの時代でも許されるものではない。

 中途半端にやったら、相手にわしや組織に対する反抗心を芽生えさせてしまう。だから「正島に手を出したら殺される」と思われるくらい徹底的に叩きのめす。これは、わしがミナミで学んだ喧嘩哲学だ。

斬新だった「タクシーからのシノギ」

 後のシノギらしい金儲けとして自分の組でも賭場を開いたが、これは儲からなかった。そこで頭に浮かんだのは、タクシーからのシノギだった。

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写真はイメージ ©getty

 当時はタクシー運転手といったら、雲助と呼ばれてガラの悪い奴がたくさんいたので、そいつらのタクシーが客待ちで止まったら「お前、ここはウチの縄張りだから」と言ってイチャモンをつけて、1台につき数百円をミカジメみたいな感じで脅し取る。こんな感じで、若い衆を使って小遣いを稼いでいた。

 さすがにタクシー会社も毎日恐喝されるから、音を上げて所轄の南署に行って相談をしたのだろう。わしは南署に呼ばれて「お前、タクシー会社から金掠りとるとはどういうこっちゃ、コラ」と怒られた。逮捕まではされなかったが、示談の話をまとめるのは苦労した。

 ほかの組織から文句は言われなかった。タクシーの運転手に目を付けてカスリを取ろうなんて考える人間は、誰もいなかったからだ。

 ただ、道路で闇討ちをされたことは何度もあった。

 ある時、夜中に路地でチャカを突き付けられた。今、わしが生きているのは、その時の相手に根性がなく、チャカの引き金を引けなかったからだ。あの時引き金を引かれていたら、わしは間違いなく死んでいた。