「結局ヤクザと喧嘩をしても、カタギは絶対に勝てない」――そう語るのが極道の世界で66年生きた元ヤクザの正島光矩氏(1940年生まれ)だ。いったいなぜ一般人はヤクザと喧嘩すべきではないのか?
ヤクザの危険な実態を包み隠さず語った著書『ジギリ 組織に身体を懸けた極道人生』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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ヤクザと絶対に「喧嘩してはいけない」理由
結局ヤクザと喧嘩をしても、カタギは絶対に勝てない。
ヤクザというのは組織だから、一対一の場はカタギが勝ったとしても、その後の仕返しが必ずくるのだ。
ヤクザの喧嘩は、昔の映画と違って一対一の喧嘩ではない。とにかく勝てばいいのだ。たとえ卑怯な方法でも、喧嘩にはルールが無いので何でもありである。
高倉健の映画の世界観は関東の人たちの美学であり、関西では通用しない。どんな方法でも勝てばいい、それが関西のヤクザの怖さだ。
格闘技をやっていようが、ボクシングをやっていようが、結局それは決められたルールの中でやっているだけで、一番強いのは場数を踏んでいる人間。これはヤクザをやっていて肌で感じたことだ。
そのように場数を踏んでいる人間の目は、喧嘩になってもいきり立っていないで冷静に周りを見渡して、武器などの道具や逃げ道を計算しているのが分かる。
組織対組織で相手が詫びを入れた場合、その人間や組織としてのヤクザ人生は終わる。個人的に恐いと思うのは、その中でも関係なく「やる」人間だ。昼間だろうが闇夜だろうが、彼らはいつでも所かまわず襲ってくる。
そして何を隠そう、わしはそんなタイプの人間だった。