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苦労してたどりついた「書」をお仕事にするという生き方――書家・岡西佑奈インタビュー

「決まりごと」は気にしない。作品は絶えず「枠」を超えてゆく

2018/03/25

 今年2月に岡西さんは、軽井沢ニューアートミュージアムWhitestone Galleryで個展を開催。そこで中心を担った作品《青曲》もしかりだ。

「天井が高く広い空間で展示できる機会だったので、自分がこれまで知らないうちに囚われてしまっている枠を、思い切って外すような作品をつくりたかった。書家の私がこれまで囚われていたことを真っ先にひとつ挙げるとすれば、作品は和紙の白と墨の黒による白黒のみでつくるものだという思い込みでした」

 枷となっていたそんな枠組みを外そうと、新作《青曲》は和紙ではなくキャンバスに描かれ、画面全体が深い青色に塗り込められた。その青色の上に、銀色で大胆に勢いのある太い線が描かれている。

軽井沢の個展にて、新作《青曲》とともに

 この青色は深い海のイメージで、銀色の線は鮫の動きであるという。

「小さいころから鮫が大好きで、ダイビングをして鮫の動きを実際に目にすることもしばしば。それで気づいたんです、鮫の泳ぎの軌跡と自分の目指そうとしている書の運筆は、そっくりであることに。私は、美しい自然界に直線がないことから、究極の曲線を描きたいと思って書を書いているので、鮫の優雅な動きは曲線美の極致で、それはすなわち私にとって理想の筆の運びでもある。《青曲》はそのあたりのことを表現できたらと考えた作品です」

22歳で書家の道を進むと決めた

 岡西さんが書を始めたのは7歳のとき。

「学区の関係で私だけ、仲良しだった子たちとは違う小学校へ行かなければならなくなりました。皆と会う機会をつくるために、両親が書道教室に通わせてくれたのがきっかけです。ほかの子はほどなくやめてしまうんですが、私ひとりだけ、そのまま書道自体にハマってしまいました」

いろんな人生があるのと同じように、いろんな「生」の字がある ©末永裕樹/文藝春秋

 中学・高校時代にはさらに熱が入った。

「夢中になると手がつけられなくなるほうです。スポ根体質なんですね。かなり打ち込んで、高校3年生の夏に師範の免許をいただきました。年齢的にはかなり早いほうだと思います」

 ところが大学進学と同時に、いったん書道から遠ざかることに。進路選択の時期に師事していた師匠が亡くなって、書に対してすべてを失った感覚になったという。新しい道を模索して、舞台女優を志した。

大学時代は、女優活動に注力していた ©末永裕樹/文藝春秋

 書道に気持ちが戻ったのは4年後。22歳になっていた。かつて書いたものをたまたま目にした知人から、

「こんなに上手なんだから、もっと書けばいいのに」

 と言われた。何気なく発された言葉が、不思議なほど深く心に響いた。押入れの奥にしまっておいた書道具を引っ張り出して、一晩中書き続け、泣きながら書いていた。書の世界で生きようと改めて決意した。