書に色をつけ、立体にする試みも
「とはいえ最初は、書をどう仕事にすればいいかわからず途方に暮れました。でも街を歩いていると、そこかしこに店の看板なんかがあって、筆文字が使われていたりする。ああ書はどこにでもある、人の暮らしに密着していると気づきました。そこで書家と書いた名刺をつくり、公民館の多業種交流会みたいなところに出入りして営業しまくりました。何でも書きますよと」
成果はポツリポツリと表れた。最初にもらった仕事は、プロ野球選手の個人ホームページのタイトル文字だった。その後、ほうぼうの飲食店や企業から、看板文字やロゴを書く仕事が舞い込むようになる。
「私の書が実際に役立っていたり、たくさんの人に見てもらえるのがとにかくうれしかった。お店の売り上げが伸びたよ、といった報告をいただくと、文字に込めた想いがちゃんと伝わった実感が湧いたものです」
並行して続けてきた自身の作品づくりでも、目指すところは同じだった。
「作品を書くうえで、書道の決まりごとを気にしたことはほとんどありません。看板文字を書くようなことは、書の世界でもアートの世界でも感心されなかったりしますが、あまり気になりません。受け取る側とのキャッチボールさえしっかりできていればいいはずだ、そう信じてやっています」
古来の手本を守り通すだけが書の道ではない。そう考える岡西さんは、自身のスタイルも固定しない。先に見た作品《生》で108通りの「生」の字を書いたように、時と場合に応じて「いま、ここに書かれるべき字」を紡ごうとする。
「この字をなぜ何のために書くのか、どんな想いを込めたいのかは、そのつど移り変わっていきますからね。自分の書にも常に新鮮に、一期一会の精神で出合いたいです」
あらかじめ決められた枠を絶えず越えようとする岡西作品は、いよいよ奔放になっていく気配がある。
「7月に銀座で個展をする予定なのですが、そこでは青色だけじゃなく、もっとさまざまな色が画面に出てきそうな予感です。書という平面上の芸術を彫刻、つまり立体作品にすることも試みてみたいと考えています」
どんな「書」が立ち現れるのか楽しみに待ちたいところだ。最後に岡西さんに、ひとつ図々しいお願いをしてみた。「文春オンライン」の「文」の字、書いていただけませんか?
快く応じてもらえた。しばし想を練ったのちに筆が走り、生まれたのがこちらの書。
「『文』は文藝や文章の文であるとともに、人が営々と受け継いできた文化の文でもありますね。歴史のある一点で生まれた文化は、人の手によって長く大切に残されていく。最後の『はらい』の長さは、文化が継承されていくさまを表したつもりです。いかがでしょう」
なるほどそう聞けば、書の見方・楽しみ方がぐっと増す感ありだ。