HKT48、PASSPO☆、日村勇紀、藤井隆……。アイドルから、お笑い芸人までを担う振付師・竹中夏海さん。ミュージカル『セーラームーン』女優から現在に至るまでの経歴は、一人の少女がテレビと一緒に大人になる物語でした。てれびのスキマさんが伺います。(全3回 #2、#3に続く)
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闇を抱えてた「セラミュ」女優時代
―― このインタビューシリーズはテレビ好きの方に「テレビの履歴書」を伺うものなんですけど……。
竹中 なんで私がテレビっ子だって分かったんですか?
―― 竹中さんのツイッターを読んでいると、「あ、テレビっ子に間違いない」と。このまえも「『はやく起きた朝は…』はまじで和製SATC」ってつぶやいてましたね(SATC=「セックス・アンド・ザ・シティ」)。
竹中 それでか! バレたかーっと思って、インタビュー楽しみにしてました(笑)。
―― 今日は竹中さんが子役時代に出演されたミュージカル『美少女戦士セーラームーンSupers 夢戦士・愛・永遠に』(1995年)のパンフレットを持ってきました。
竹中 えっ!? すごーい! スキマさん、観に来られたんですか?
―― 僕の妻が大好きで毎回観に行っていたらしいんですよ。当時、もう大人だったんですけど。
竹中 えー! 今のセラミュ(セーラームーンミュージカル)のお客さんって大人の女性も多いですけど、当時はあんまりいなかったですよね。へぇー、すごい。
―― でも、これを持ってくるの若干躊躇したんです。当時ツラかったみたいなことを、どこかで話されていたので。
竹中 いや、ミュージカル自体がツラかったわけじゃなくて、いい思い出なんです。でも、今思うと鬱だったなあって。私、基本アッパーなんですけど、この時、人生で初めて親元を離れたんですよ。そうすると、もう子供ってめちゃくちゃになるんだなっていうのがよくわかりました。ずっとお風呂で柿の種しか食べてなかった(笑)。
―― 小学校5年生ですよね。
竹中 おばあちゃんが、「もうお願いだからご飯食べて」って言ってた時代。病んでましたね。
―― ご出身は?
竹中 東京で生まれて2歳くらいで埼玉に引っ越して4年生まで。5年生から父の実家の青森に転校する予定だったんですけど、たまたま小学4年の終わりに受けた『セーラームーン』のミュージカルのオーディションに受かってしまって、私だけ東京のおばあちゃんの家に居候したんです。初めて転校して、初めての芸能活動で、初めて親元離れて。それで学校で初めていじめられてとか、そういうのがいっぱい重なって、むちゃくちゃ闇を抱えてました。でも、2014年の『セーラームーン』ミュージカルで一部振付けを担当させてもらって、今度はステージを支える側として、お世話になりました。