生粋のテレビっ子がアイドルの仕事に就くまでの軌跡。てれびのスキマさんによる、振付師・竹中夏海さんインタビューの中編は、人生を変えたBerryz工房の紅白歌合戦の思い出から、嵐に学んだ「アイドルに大切なこと」のお話まで! (全3回の2回目 #1より続く)
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「この所さんは偽者だ」って、勝手に思ってた幼稚園時代
―― 今は振付師として「裏」に徹するお仕事をされていますが、子供の頃はテレビに出たい願望を持っていたんですか?
竹中 どうかなあ? 出たかったんじゃないですかね。私が初めてテレビに出たのって実は幼稚園の頃なんですよ。
―― そうなんですか!
竹中 『所印の車はえらい』っていう所(ジョージ)さんが車とそのオーナーを紹介する番組があったんですよ。うちの母は所さんが大好きだったんですけど、ためしに出演希望を出したら合格しちゃったんです。それで、幼稚園を早退して家族として出演しました。ゴールデンレトリバーのブレンディーも一緒。父は車を母に託して。
振付:竹中夏海 NGT48「暗闇求む」
―― テレビに出た自分を観てどうでしたか?
竹中 私、目の前にいる所さんが偽者じゃないかって、疑ってる顔してるんです。
―― え?
竹中 ずっと警戒心丸出しの顔してるんですよね。「なんで、なっちゃんこんな笑ってないの?」って一緒に見てた親戚から笑われたんですけど、「この所さんは、ルパンみたいに変装マスクを被ってる、こいつはニセ者だ!」って疑心暗鬼だったんです。
ザワッとします、今も『内P』のことを思い出すと(笑)
―― あはは、子供心に。あと、『内村プロデュース』にも出られたことがあるって、本当ですか?
竹中 あっ! よくそこまで知ってますね。高校1年の時です。その頃は子役の仕事もしていなくて、ホントにただただ普通の高校生時代。ただ、なぜか血迷って、1年だけボート部に入ってたんですよ。で、深夜時代の『内P』でマイナースポーツ企画があって、レガッタの回があったんです。『内P』チームと女子高生チームが対決するっていう企画でたまたま選ばれて出ました。でも、その当時の私たちは部内の恋愛沙汰でもめてたんですよ(笑)。
―― あー……。
竹中 そもそも私がボート部に入ったのは、友達から「ボート部にカッコいい先輩がいるから一緒に入ろう」と誘われたのがきっかけだったんです。で、まぁそこからはよくありがちな、応援するだのされてないだの、好きだのきらいだの、見事にこじれまして……。
―― うわぁ。
竹中 そういうタイミングで、『内P』の取材がくるって話になって、ピリッピリだった部活が、一瞬、ふわっとやわらかくなったんです。ウッチャン来る! ってテンション上がって。
―― おお、テレビの力(笑)。
竹中 まださまぁ~ずさんが出てない時代で、ふかわりょうさんと、その時はなべやかんさんと、おさるさんが出ていました。ところが、収録が合コン企画みたいなノリになってきて、ネタとしてみなさんが「竹中さんがいいです」「俺も」「俺も」みたいな流れにたまたまなっちゃって……。
―― せっかく恋愛沙汰がリセットしかかっていたのに。
竹中 しかもオンエア観たら、誰が私を落とせるかみたいな作戦会議コントみたいのまで入ってて。あくまでも芸人さんたちのノリだなぁってことを私はテレビっ子なので理解してたんですが、女子高生ってお笑いそこまで分からないじゃないですか。オンエアの翌日、誰も『内P』の話をしませんでした。ザワッとします、今も『内P』のことを思い出すと(笑)。