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振付師・竹中夏海が語る「アイドルに大切なことはすべて嵐に学んだ」

“テレビっ子”竹中夏海インタビュー #2

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大野くんにキューーンッ! ってなるまで

―― 学校ではどんな子だったんですか。

竹中 小学校では、いじめっ子をいじめてました(笑)。

 

―― おぉ。

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竹中 昔から、女の子贔屓なので、女の子をいじめる男子をこらしめてました。母のところには「夏海ちゃんにいじめられたって、うちの息子が言ってるんですけど」みたいなクレームが来てました。中学ではギャルグループ。見た目は今のままなんですけど、マインドがギャルなんで(笑)。

―― そういう子たちとテレビの話とかするんですか。

竹中 めちゃくちゃしてましたよ。中学の頃は野島伸司さん脚本の『聖者の行進』が流行ってましたね。あと、(島袋)寛子と同い年のSPEED世代なんで、『THE夜もヒッパレ』はよく観てました。

―― 当時からSPEEDの振りが気になったりとかしてたんですか。

竹中 やっぱり真似してました。ギャルたちが絶対真似するので、自動的に私も覚える(笑)。あと、『8時だJ』。クラスの女子全員に、1人は必ず好きなJr.の子がいました。

―― 竹中さんの好きなジャニーズアイドルは誰だったんですか?

竹中 『8時だJ』の時は松潤(松本潤)が好きでした。1年ぐらいの間にみるみるお兄さんの顔になって、あぁ、どんどん成長するな、そろそろもう離れようかって思ってた頃に、嵐が結成されたんです。すると今度は、大野(智)くんが気になりだした。大野くんは『8時だJ』に1回も出てないんですよ。

―― あっ、そうなんですか。

竹中 大野くんが言うことには、「自由参加だから1回も出なかった」と。この理由にキューーンッ! てなって。

―― あはは(笑)。

竹中 それからずっと大野くんが好きですね。『8時だJ』の後に『やったるJ』っていうのが始まったんですけど、子猿を育てるっていう企画があったんですよ。旧テレ朝の敷地内に小さいログハウスみたいなのを建てて。そこで大野くんは「バナナを食べるか?」って言って、「食べないなら俺が食べちゃうぞ」って言って、結局バナナ3本食べて帰っていったんです。それでまたキューーンッ! てなって(笑)。

―― 大野くんらしい!

竹中 それで「好き!」って思って。そこからずっと大野くんが好きです。

“ダンスやってる子あるある”

―― 竹中さんが振付けのお仕事を目指すのはアイドル好きが高じてなんですよね?

竹中 そうなんですけど、振付師になりたいと思ったのは、結構早かったんです。中2ぐらいからはもうずっと振付けを作ってて、高校でも大学でもずっと作ってた。自分の振付けが大好きだったので(笑)、自分の作品を見ていられる裏方に徹したいっていうのはその頃からありましたね。「モー娘。が今流行ってるから、カラオケでみんなで踊ろう」ってなったときに、新曲の振りを覚えてみんなに教える担当は、いつも私でした。大学は日本女子体育大学の舞踊学専攻で、振付師になりたくて入りました。舞踊学専攻の子で集まったら “ダンスやってる子あるある”で、やっぱりみんな、高校ではカラオケの振付け担当でしたね。

 

―― 日本女子体育大の舞踊学専攻って、土屋太鳳さんもたしか……。

竹中 そうです。太鳳ちゃんは同じ舞踊学専攻の後輩です。私は2007年の3月に卒業したんですけど、どのジャンルの振付師になろうか決められないままの卒業だったんです。で、とりあえずキッズダンスの講師とかをやりながら、どうしようって思ってた。その2007年末にテレビで観た『紅白』が私にとって大きなきっかけだったんです。10周年記念のモーニング娘。が出場した回で、Berryz工房と℃-uteが出てたんですね、一緒に。そこで『付き合ってるのに片思い』っていう曲をBerryz工房が歌ってたんです。「かわいいー!」って思ってずっと観てたら、「あれ? 歌詞とダンスがリンクしててすごい振付けじゃないか」って気づいたんです。しかも女の子をかわいく見せる動きや仕草や工夫がちりばめられてる。考えてみたら、アイドルの振付けって、5人とか7人とかのアイドルに教えたものが、次第に何千人ものお客さんがコピーしてくれて拡がっていく。それってすごい仕事だ! って思ったんです。