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「結婚も待てなかった」嵐・二宮和也(40)が早々に独立した“思惑”〈お父さん、あのジャニーズだったの?と…〉

2023/11/10

genre : エンタメ, 芸能

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ジャニー喜多川氏が「嵐」と命名

「一方で、アイドルグループ『嵐』のデビューは衝撃的でした。ハワイのホノルル沖のクルーズ船で『J担(ジャニーズ担当)』と呼ばれるテレビ・雑誌・新聞などの芸能マスコミを集めてデビュー記者会見をしたのは1999年9月のことです。『一文字だから、略されずラテ欄に載る』と命名したのは、もちろんジャニー喜多川氏です」(同前)

ジャニー喜多川氏

 その狙いどおり、11月に発売したファーストシングル『A・RA・SHI』からチャート1位を獲得し、翌年には大阪城ホールや横浜アリーナを満杯にする人気グループとなった。

二宮は「小僧に見えがちなんですよ」

 傍らで、映画やテレビドラマの主演をこなす二宮の転機となったのは、ご存じクリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』(2006年公開)出演オーディションの合格だった。

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「オーディションに行ったものの、イーストウッド本人が不在と知った瞬間に、『参加しただけでネタになるか』と、自ら選択した演技テストの場面は喋らなくて済むものばかり。製作チームに、『ひと場面くらい、台詞のある場面をやってみてくれ』と言われ、渋々やったそうです。しかしそれが功を奏した。やる気のない感じの演技のビデオがイーストウッドの目に留まり選ばれた、と本人は話しています」(同前)

 二宮は、そう面白おかしくエピソードにしているというが、実はそこにも策士っぷりはあった。

「20代のときのこと。『俺、そこそこいけると思うんですよね。でもそこまでいい役がこないのは、代わりがきくタイプだからじゃないか。あと小僧に見えがちなんですよ。歳をとってからは見た目相応って言われるようになりたい』と、二宮くんが言っていたことがあります。

 確かに、松本や櫻井(翔)はほかに代わりがきかないタイプ。テレビ的には“ザ・アイドル”的なポジションでもある。ところがニノは、小柄な容姿を含め、『もし彼がNGだった場合には、〇〇でもなんとかなる』と思われがちでした。

看板が撤去された旧ジャニーズ事務所の本社ビル ©時事通信社

 そんな周囲の空気を感じて、そこそこいけてるはずの演技の部分で、抜きんでようとしていたと思いますよ。『硫黄島』のオーディションだって、やる気満々にもできたはず。でも冷めた感じを見せることで目立てるという目算はあったでしょうね」(前出・テレビプロデューサー)

 アカデミー賞に4部門もノミネートされた国際的映画への出演で俳優としての評価を確固たるものにした二宮は、国内の映画やドラマでも立て続けに主役を張り、ことあるごとに賞を獲得するようになった。

 大きな自信をつけたのだろう、嵐のなかで既婚者になったのも一番手だった。

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