「ニノは、嵐メンバーのなかでいちばん演技派。そしてもうひとついちばんなのが“策士”っぷりなんです。よくも悪くも、自分のポジションというものを俯瞰しています、若い頃から。口グセは『どうしよっかなー』で、その言葉を言うときにはどこか不遜な表情をしてる(苦笑)」

 そう二宮和也(40)について話すのは、あるテレビプロデューサーだ。

二宮和也 ©文藝春秋

 故・ジャニー喜多川氏の性加害問題に伴い、怒涛の勢いで日々、旧ジャニーズ関連のニュースは報じられ続けている。

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 旧ジャニーズ事務所(現・SMILE-UP.)の屋台骨だった5人組「嵐」のなかで、10月24日に独立を発表したのは二宮だった。

 ファンクラブサイト内の動画で、

「1回目の事務所の会見(註:9月7日)以降、自分の活動にも多くの影響が起き始め、正直な話、僕も怖くなったし、不安な気持ちにもすごくなり、これからどうしていこうかなと考え始めました」

 そう独立の経緯を発表した二宮は、こう続けた。

「自分の将来については自分自身で決めていかなきゃいけないし、でも仕事は走っていっているっていう中でいったん落ち着いて物事を俯瞰で見て考えていたときに、やっぱりちゃんとしようと」

 要は、旧ジャニーズに籍を置き続けることのマイナス面が大きすぎるという表明である。

 映画やドラマなどの俳優仕事がメインのタレントとしては、どうしても「スポンサー」の意向が大きく影響する。特に、国際的な映画や配信ドラマへの出演などを勘案すると、「旧ジャニーズ事務所」所属という点がネガティブに作用することが予想される。

東山紀之氏と井ノ原快彦氏 ©EPA=時事

ジャニーズにもアイドルにも興味がなかったニノ

 二宮がジャニーズ事務所のオーディションに参加したのは、1996年6月。13歳の誕生日を迎える前日のことだった。ニノに「人様に見てもらう機会なんて滅多にない。5000円あげるからオーディションに行きなさい」と言ったのは、母親だったという。

「ニノの両親は服部栄養専門学校で先生をしていた調理師でした。東京の下町で生まれた彼は野球少年で、ジャニーズにもアイドルにも興味はなかったといいます。

 しかし、オーディションの数日後には『KinKi Kids』のバックダンサーとして『ミュージックステーション』(テレビ朝日)に出て、その年の夏休みには『V6』のコンサートにジュニアとして参加。翌年には、松本潤、生田斗真、相葉雅紀らとジュニアのユニットを組むほど、順調な流れでした」(芸能デスク)

 ジャニーズ入りして1年半後には、元日に放送された大規模なドラマにも出演。のちに俳優としてめきめきと頭角を現すきっかけとなった。