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「母だってひとりの女性」の草分けとなったのは、今から34年前の『青春家族』(1989年)ではないかと筆者は考える。この朝ドラは母・麻子(いしだあゆみ)と娘・咲(清水美砂)でWヒロインという、前例のない形式をとって話題となった。キャリアウーマンの麻子と漫画家志望の咲はいわゆる「友達母娘」。リビングで互いの恋愛やセックスについてざっくばらんに話し合う母娘のシーンが視聴者の度肝を抜いた。「母だってキャリアを優先したいし、家庭人である前にひとりの人間でありたい」という、母親サイドの「属性からの解放」を叫んだ挑戦作だった。

『青春家族』(1989年)は、いしだあゆみ演じる母親とその娘(清水美砂)でWヒロインという前例のない形式をとった ©文藝春秋

母親のモラトリアム期を描く

『ひらり』(1992年)でひらり(石田ひかり)の母・ゆき子(伊東ゆかり)は結婚以来ずっと専業主婦だったが、ある時ふと自分の生き方に疑問を持ち、マンションを借りて自分史を書き始めるという「迷走する母親」。母親のモラトリアム期を描く朝ドラは珍しい。

『ふたりっ子』(1996年)は双子のヒロインの子役時代をつとめた三倉茉奈・佳奈の愛くるしさから人気に火がついた朝ドラだが、実は随所に人間の業やエゴを忍ばせた意欲作。中でもヒロインの母・千有希(手塚理美)が見せた「女の業」が目を引いた。演歌歌手・オーロラ輝子(河合美智子)と駆け落ちした夫・光一(段田安則)に対する千有希の執着がヒリつく筆致で描き込まれ、しかし最後には、夫婦の関係を再構築していく姿が描かれた。

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『つばさ』(2009年)の、つばさ(多部未華子)の母・加乃子(高畑淳子)は「放蕩息子」ならぬ「放蕩母」。自分の好きに生きて家に寄り付かず、借金まで作ったりして、まるで近年の朝ドラの「困ったお兄ちゃん枠」と「おかしなおじ(伯父/叔父)さん枠」を掛け合わせたようなエキセントリックな母親だ。家事をして家を守る娘のつばさと「母娘逆転現象」が起こっていた。

『つばさ』(2009年)で自由気ままに生きる「放蕩母」を演じた高畑淳子 ©文藝春秋

ヒロインの母が持つ「毒」

「毒母」というワードが頻繁に聞かれるようになった2010年代には、時代を反映して確信犯的にヒロインの母親の造形に「毒」を注入する朝ドラもいくつか登場した。『純と愛』(2012年) の純(夏菜)の母・晴海(森下愛子)は娘に対する依存が激しく過干渉で、かなりはっきりとした「毒母」と言える。終盤には晴海が若年性アルツハイマーを発症し、綺麗事ではない家族のかたちが赤裸々に描かれた。

 社会現象となった『あまちゃん』(2013年)のアキ(能年玲奈/現・のん)の母・春子(小泉今日子)は、自らの母・夏(宮本信子)とのわだかまりをいつまでも引きずる、口の悪い「こじらせ母」。「ヒロイン・アキの母」というよりは、「夏の娘」の印象が強かった。春子が終盤で、母・夏との確執と、アイドルの夢を閉ざされたトラウマを氷解させていく姿は見応えがあった。

「母親(ヒロインにとっての祖母)との確執を引きずるがゆえのこじらせ」という母親像は、『まれ』(2015年)で、まれ(土屋太鳳)の母・藍子(常盤貴子)にも引き継がれた。こちらは春子よりかなり湿度と粘度の高い「こじらせ」で、かなり好みの分かれるキャラクターとなっていた。