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2018/04/07

森繁和監督からかけられた言葉

 1月31日。キャンプ前日にホテルで新しい背番号114のユニホームを広げた。「少し寂しい気持ちはありましたが、裏方として頑張ろうと思いました」と野村。打撃投手としての実績はゼロ。当然、2軍キャンプ地の読谷スタートだった。

「やはり気持ち良く打ってもらうことを心掛けています。ホームランは嬉しいですね」。1ヶ月、野村は上を向いて投げた。これが最もストライクが入るからだ。あんなに酷評された投げ方を今は誰も批判しない。

 野村は打撃投手ならではの苦労も味わう。「ピッチャー返しから身を守るためのL字ネットがありますよね。投げ終わった後、それに隠れるために1塁側に体を傾けるので、どんどん右脇腹が張るんです。現役時代は全くなかった張りですね」。

 また、ボールが続くと申し訳ない気持ちになる。「でも、工藤(隆人)さんが『気にするな。試合ではボールの見極めも大事だから』と。あの言葉で救われました」と打ち明けた。さらに野村のストレートは時々カット気味に変化する。「藤井(淳志)さんが『そういうピッチャーもいるから。実戦向きだよ』と言ってくれました。このチームで良かったです」。

 キャンプ最終日、驚きの連絡が来た。1軍合流だ。喜びよりも身の引き締まる思いが勝った。

 3月29日。開幕前夜。中日はマツダスタジアムでナイター練習を行った。独特の緊張感の中、野村は投げた。2時間半の練習が終わり、バスに乗り込むと、野太い声が聞こえた。「開幕1軍だな」。声の主は野村の苦悩を最も知る一人、森繁和監督だった。「ありがとうございます」。

 中日は選手も監督も温かい。

 野球人生を終えたマツダスタジアム。奇しくも野村はこの場所から新たな一歩を踏み出した。しかも、初の開幕1軍で。プレーボール直前の打撃練習。熱気で息苦しくなる満員の赤い敵地で、自分らしく、上を向いて、真ん中に投げた。ホームランを打たれるために。快音が鼓膜に響く。被弾する。そのたびに満足感が細胞に染み渡る。これが今の野村だ。

野球人生を終えたマツダスタジアムで新たな一歩を踏み出した野村

 時に野球の神様は感慨深いシナリオを書く。

 中日は開幕から連敗スタート。「広島、強いですね。悔しいっす」。野村は唇を噛んだ。今は裏方。しかし、彼にはまだ流れている。戦う男の血が。そして、今日も腕を振る。チームの勝利のために。

 輝けなかったドラフト1位。まだ24歳。影でチームを支える背番号114の第2の人生をそっと見守りたい。

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