開幕4連敗とあえいでいたドラゴンズが巨人を下して初勝利を挙げた4月4日、ナゴヤドームのお立ち台に先発左腕ガルシア、打のヒーローのビシエドと並んで上がったのはルーキーの鈴木博志だった。
3点リードの8回、2番手の又吉からバトンを受けると中井、吉川尚、坂本勇の1、2、3番を3者連続三振。18球のうち15球はストレートという、まさに力でねじ伏せる投球で最終回の田島につなぎ、初の本拠地登板で大仕事を完ぺきにこなした。
ドラゴンズには清く正しい系譜がある。それは新人の本格派リリーバーだ。
古くは1974年の鈴木孝政。進学校の千葉・成東高からドラフト1位で入団すると、2年目のこの年に実質デビュー。ロングリリーフ、セットアッパー、ストッパーとあらゆるシチュエーションで35試合に登板(うち先発3)し、20年ぶりの優勝に貢献して巨人の10連覇を阻止する主役の1人となった。スピードガンは当時普及していなかったものの、速球は150キロを軽く超えていたとされ、当時のセ・リーグでは最速といわれた。
90年にはNTT東京からドラフト1位の与田剛がオープン戦から150キロ超の剛速球を投げて度肝を抜き、31セーブを挙げて最優秀救援投手と新人王を獲得。球宴にはファン投票1位で出場し、同じく新人でパの1位だった野茂英雄と投げ合いを繰り広げた。当時のファン投票は現在のように先発・中継ぎ・抑えと分かれてなく、投手全体で1人しか選出されなかった。それだけでも全国区の人気だったことが分かるだろう。
翌91年には住友金属からドラフト5位の森田幸一が登場し、故障の与田に代わるエースリリーバーとして50試合登板(うち先発1)、10勝3敗17セーブの活躍で新人王となる。公称173センチ、実際はそれ以下だった身長で切れのある速球とスライダーを小気味よく投げ込む姿から「小さな大投手」の異名がつき、森田健作(現千葉県知事)と作曲家の森田公一が同姓のよしみで応援歌「モリタはスゴイ!」を吹き込んでCD発売されたほどだった。
鈴木博がこれら先輩リリーバーの系譜上にいることは、理解していただけただろうか? 特に与田、森田とは同じ社会人出身の本格派であり、期待は一層高まるのだ。