この優勝はいいものだ
2017年10月5日、石井琢朗打撃コーチと河田雄祐外野守備走塁コーチが退団するニュースは衝撃だった。何故こんなに寂しいんだろう。FAで選手が出ていくのには慣れているのに。やな慣れ。基本私は「出ていくなら仕方ないなあ」とあきらめてしまう。新井さんが涙で出て行った時も、まあしょうがないよねえー、誰かが出て行ったら誰かが出てくる勝負の世界、どの選手が伸びてポジションつかむんかねえ、と別問題に目を向けたふりができた。なのに今回のショックは長引いた。何故。
1、いいコーチだったから
2、2人いっぺんにだから
3、CSの前というタイミングだから
4、同じリーグの別球団に行くから
うん、全部かな。神宮でヤクルトのユニフォームを着て三塁に立つ河田コーチの後ろ姿を見るんだろうか? と考えるとたまらなかった。胸がギュウッとなる。これが失恋? みたいな。達川コーチ、長嶋コーチを敵陣に見ても頑張ってるなーと寂しくはならない。
ふと新聞社主催の山本浩二衣笠祥雄トークショーに行ったことを思い出す。一番心に残った言葉は浩二さんの「優勝が我々を仲間にしてくれた」だ。
「優勝するまではね、キヌはライバルだって気持ちの方が強かったのよ」
「こいつよく打ってんな、負けられない、なにくそってね」
「敵チームよりキヌに負けたくなかった」
「同じチーム、目の前にいるから比べやすい。一番のライバルって意識してた」
だけど、と。
「あの初優勝した時にね、ああ、こいつと同じチームでよかったと思うたんよ」
「キヌが打ってくれたから勝てたって思うようになった」
横でうんうんとうなずく衣笠さん。設立25年初優勝の涙の裏にある戦士の感情。
今回の25年ぶりの優勝と重なるではないか。私は勝手に河田石井両コーチを仲間と感じていた。優勝した仲間。それはいかに25年が長かったかを再確認する退団だったのだ。
優勝してしまえばあっという間の25年というのは見せかけで、自分が思っていた以上につらかったのだと両コーチの退団で引っ張り出された負の感情。つきつけられた25年。つい最近、うちの子育てて「ああ、生まれてから過ぎてみればここまであっという間だったなー」と思ったけど大学生だよ、やっと。25年てもっとだ、子供生まれて小中学校こえて就職して結婚しちゃうかもしれない年月だ、孫生まれて、やだーおばあちゃんになっちゃったわーうふふってな年月を負けて負けて負けた。またくるかもな25年を越える元気はない。と、25年前提の弱さを許してほしい。それほど苦かった。もう25年は勘弁してと思っているそこに、優秀なコーチ退団の現実。一緒に越えたのに。喜んだのに。感謝している気持ちを切られたような勝手な気持ち。その勝手さを返上して感謝だけにするために、赤から緑になった彼らを観に行った。
奴はとんでもないものを盗んでいきました、ファンの心です
観ましたよ、神宮初戦セレモニーで名前をコールされてベンチから走り出てくる緑の河田コーチ石井コーチを。広島ファンからも拍手に私の拍手も小さくかぶせた。もう、敵なんだ。戦う相手なんだ。ヤクルトはまた優勝を争うチームになるんだろう、その争う相手でありたい。面倒な敵になりたい。
自分が指導した選手と戦うコーチの気持ちはどうかな、楽しいのではないだろうか。奴らが敵になったのは面白いとお二人は思っている気がする。野球という舞台で戦ってきた人たちだから。神宮で「ようこそ、広島の諸君」と緑の人は笑うんじゃないだろうか。デスラーの口調で。河田コーチはズォーダー大帝に似ている(ぜひ検索)。神宮で両コーチを観たらまだせつないけれど、戦いに入ったら勝ちたいだけだ。師匠を倒すなんて格闘漫画としては最高の場面、やったれ広島。
思えばマエケンのノーノー未遂も神宮だったな、元広島の福地選手にサヨナラ打たれたなあ。観たよー現地だったよー。
難しいと言われる神宮グラウンドを的確につかむんでしょう、河田石井両コーチ。広島にとっては難しさが増した神宮へ今年も観戦に行こう。
敵は各球場にあり。ちっぽけな寂しさなんか熱い戦いに吹き飛ぶ。球場で会いましょう。
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