塚原たえさん(52)による覚悟の実名告発は大きな反響を呼び、ついに叔母が立ち上がった。叔母とは、NHK朝ドラ『鳩子の海』でヒロインを演じた女優・藤田三保子さん(71、旧芸名:美保子)だ。当時、東京で女優として成功していた藤田さんは、父親から性虐待にあっている塚原さんら子どもたちを案じ、「2人を養子にしたい」と山口を訪れたことがある。だが、父親はこの申し出を突っぱね、その二十余年後、弟・和寛(仮名)は自ら命を絶った――。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による実名インタビュー。
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虐待されても“世界一の母親”だと思っていた
女優をめざして上京した藤田三保子(旧芸名:美保子)は、3年目でチャンスを掴む。
NHK朝の連続テレビ小説『鳩子の海』のヒロイン・鳩子役を射止めたのだ。山口県が主な舞台で、鳩子は一人でたくましく生きていく女性という設定だった。
『鳩子の海』は1974年春から1年間放送され、平均視聴率47.2%は朝ドラ歴代4位の記録となっている。翌年からは、こちらも高視聴率で鳴らした刑事ドラマ『Gメン’75』(TBS)で、選ばれし7人の刑事「Gメン」唯一の女性刑事を演じた。
私生活では、25歳でNHKのディレクターと結婚し、2人の連れ子の母になった。
だが順調な時期は長く続かず、27歳の時、膠原病を発病した。発熱や全身の倦怠感、関節の腫れなど様々な症状が出る難病だ。長期入院を余儀なくされた。
最初の入院時、長男は9歳、次男は7歳だった。子どもたちがちゃんと生活できているかが自分の病状より心配で、10円玉を握りしめては院内の公衆電話へ向かった。
「私は血の繋がらない子を育てることで、母親というのは子どもと離れるとこんなに心配になるものなのかと知ったんです。逆に言うと、子どもと離れて暮らしている時にまったく会いに来なかった自分の母は何だったんだろうと。虐待されても“世界一の母親”だと思っていた母への見方が、ここから少しずつ変わりはじめました」
「お父さんにタバコの火を押し付けられる」
当時の三保子は知らなかったが、同時期、郷里・山口では、三保子の兄・剛(仮名)が、娘のたえに性虐待を行うようになっていた。事情は不明だが、たえと弟の和寛(仮名、故人)が親類宅に1ヶ月預けられ、養子に出すという話もあったらしい。しかし剛は頑なに拒否し、子どもたちを連れ帰った。以前からの身体的虐待に加え、性虐待が始まったのはその頃からだった。たえは「他の人に渡したくない、というところから性虐待が始まったのではないか」と考えている。
1980年夏のことだったと、たえは記憶している。たえが小学4年生、和寛が小学3年生、三保子が28歳になった年だ。
三保子が下関市のたえの家にやってきて、数日滞在することになった。たえが学校から帰宅すると、玄関先から行列が延びていた。三保子のサインを求める近所の人たちだった。三保子はたえを「おかえり」と笑顔で迎え、ちょっとした雑談から、たえが鉛筆削りを持っていないことを知るとすぐに近所の文具屋へ行って買ってきた。
翌朝は、三保子が早起きして朝食を作った。たえは普段、朝食を食べさせてもらえることがなかったため「いらない」と言ったが、三保子は「食べていきなさい」とサラダを勧めた。
なぜこの時、闘病中の三保子が、縁を切ったはずの兄の家に泊まることになったのか。
三保子は「何らかのSOSがあったかもしれないけど、はっきり覚えていない」という。ただ三保子が身内で唯一連絡を取っていた母は、過去の後悔からか剛を溺愛するようになっており、せびられるままに金を与えていた。SOSを出すとは考えにくい。
一方でたえは「和寛の担任の先生が、叔母に手紙を書いてくれたのではないか」と語る。担任はこの頃、たえと和寛を養子にしたいと剛に申し出たことがあった。また、有名人である三保子の連絡先を調べて、手紙をやりとりしたことがあると後に聞いたことがあった。
三保子は姪や甥と初めて寝食を共にするうち、おかしなことに気づいたという。
「和寛の腕に白い点々があったんです。『何これ?』と聞いたら、たえが『お父さんにタバコの火を押し付けられる』と言いました。思ってもみなかった話でゾッとしました」