塚原たえさん(52)による覚悟の実名告発は大きな反響を呼び、ついに叔母が立ち上がった。叔母とは、NHK朝ドラ『鳩子の海』でヒロインを演じた女優・藤田三保子さん(71、旧芸名:美保子)だ。当時、東京で女優として成功していた藤田さんは、父親から性虐待にあっている塚原さんら子どもたちを案じ、「2人を養子にしたい」と山口を訪れたことがある。だが、父親はこの申し出を突っぱね、その二十余年後、弟・和寛(仮名)は自ら命を絶った――。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏による実名インタビュー。
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時効があることがおかしい
女優の記憶にある故郷は暗い。
兄妹で「てて(父)なし子」と呼ばれ、差別に耐えた。その兄とは17歳の時、心の中で縁を切った。人には言えない事件が背後にあった。
NHK朝の連続テレビ小説『鳩子の海』でヒロインを演じた、藤田三保子(71)。
姪の塚原たえ(52)が父親からの性虐待を実名告発したことで、縁を切った兄=たえの父親について明かそうと決断した。かつて幼いたえとその弟・和寛(仮名、故人)を救おうとして救えなかったことを、三保子は今も後悔しているという。
「兄は何をするかわからない人だし、本当は関わり合いになりたくない。でも、たえが実名を出してでもあの人のことを世に訴えたいと言い出した時、気持ちが痛いほどわかりました。今からでも兄を刑務所に入れてほしいし、性虐待に時効があることがおかしいのです」
三保子は、資産家の一人息子の父、新派女優だった母の第2子として山口県で生まれた。もっとも両親は三保子が2歳の時に離婚しており、父の記憶はない。美人で教養があり東京で活躍していた母は、戦争が激化した頃に見合いで嫁がされた相手の「飲む、打つ、買う」、特に女癖を許せなかったらしい。
三保子は物心つく前から、3歳上の兄・剛(仮名)とともに、よその家に預けられている時期が長かった。1950年代の山口でシングルマザーの働き口は、ホテル・旅館の仲居か、水商売以外にはほぼ皆無だった。母は旅館の住み込みの仲居となり、兄妹は、旅館の目の前にあった下足番の家で暮らした。
「母はお金を持ってくる時以外、一度も子どもたちに会いにきたことはありません。温かい言葉をかけるようなこともなかったです。預けられた家には同世代の男の子がいて、彼とそのお母さんに私たち兄妹はいじめられました」
藤田氏も虐待されていた
剛も「ててなし子」と呼ばれるのは同様だったが、外でどんな目に遭ったかは知らない。
三保子がわかるのは、同居することになった母からの虐待があったことだ。
「私や兄がけんかしたという噂を聞いただけで、殴る蹴るでした。相手が悪くても『お前が悪い』と言って、息が止まるまで蹴られたこともあります。母は女優時代の舞台写真や新聞記事を眺め、事あるごとに父への恨みを聞かせてきました。今思うと、過去の栄光を引きずって、こんなはずじゃなかったと現状を呪っていたのでしょう。そして、山奥で酒場の女将をしていることへの不満や怒り、閉塞感を、子どもたちにぶつけていたのだと感じます」
剛は中学を卒業すると、東京で就職・進学することになり、集落を出た。
中学生になった三保子も、その夏には防府市へ引っ越した。乱暴な兄がいなくなり、田舎での差別から解放されたことで、それまでとは別人のように活発になった。高校生になるまでまた他人の家に預けられたが、自立心が育まれた。
三保子は県立防府高校へ進学した。3学年上の作家・伊集院静をはじめ、著名な卒業生が多くいる進学校だ。ただ三保子は大学へ進まず、女優になろうと決めていた。当時は母を楽にさせたいという一心だった。身長は168cmまで伸び、ソフトボール部では“エースで4番”の主将を務めた。
三保子が高校生の頃、母が慌てて金を借り集めて東京へ向かったことがある。それからまもなくして、剛が県内に戻ってきた。