父親による姉弟への悪魔のような性虐待と精神支配の末、弟は自ら命を絶った。亡くなった弟のため、そして自分のために立ち上がった塚原たえさん(51)は実名告発を決心。性暴力の実情を長年取材するジャーナリストの秋山千佳氏が徹底取材した。

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Ⓒ文藝春秋

制服をハサミで切り裂かれ、教科書は水没

 塚原たえが中学2年生の頃の写真がある。父親とぴったり体を寄せ、笑顔を見せている。

 たえが写真に目を落として言う。

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「何も知らなければ楽しそうな親子に見えますよね。でも、心の中はまったく違います。父親にもっとくっつけと言われてやっただけ。言われたとおりにすれば、父親は怒らず、優しくなるというのをこの頃覚えたんです。笑顔も芝居です」

当時の塚原たえさんと父親。「笑顔も芝居です」(塚原さん)

 弟の和寛(仮名)の姿は、写真にない。

「この時、弟は父親に殴られた末に裸で外に放り出され、近所の家の服を盗んで無賃乗車で山口から富山まで家出していました。保護された弟を車で迎えに行く途中で撮ったのがこの写真です」

 中学生になった和寛は、父親から暴行を受け、裸で外に放り出されるたびに、家出を繰り返していた。女子であるたえは同じように放り出されても、裸でうろつくことができずに立ち尽くすだけだった。だが和寛は、近所で服を盗めば逃げられると学んだらしい。

 とはいえ、食事を抜かれることも多く小柄な和寛がうろついていれば、必ずどこかで大人に見つかる。児童相談所に一時保護され、親権者である父親の元へ返される。

 父親は迎えに行った当日こそ「もう、和寛君は~」と優しい口調で接するが、数日すると殴る蹴るや性虐待が再開した。そしてまた和寛は父親から逃げるのだった。