この告発は、ジャニー喜多川氏の性加害が社会問題化する直前の2023年2月から行われた。加害者は住所不定無職の50代で、精神障害者。男児・女児問わず子どもを誘拐する常習者だった。そして、事件の深刻な影響は、事件のずっと後になってから、“時限爆弾”のように表れた――。

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「されたことの意味がよくわからなかった」

 東京都内の地下鉄駅前の喧騒から数分歩くと、ふいに人気がなくなった。

 夏の太陽が西へ傾き、マンションに囲まれた狭い道路も公園も、そして公園の角にある古い公衆トイレも、影に覆われてしんとしている。

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「32年前のあの時も、こんな感じでした」

 赤池雄介(仮名、41)はそう言って、夕暮れ時の空を見やった。

 あの時とは、赤池がこの場所で、性被害に遭った瞬間を指す。

「性暴力を受けなければ障害者にならなかったと思うと、犯人を許せません」

 わずか30分ほどの出来事で、赤池の人生は大きく狂ってしまった。

 赤池だけではない。家族もまた、性被害を1日たりとも忘れることができないまま歳月を重ねてきた。

赤池さん

 1991年8月の夕刻。小学3年生で夏休み中だった赤池は、両親や妹と日帰り旅行をし、家族そろって自宅へ戻っていた。

 この日、赤池はソワソワしていた。子どもたちに絶大な人気を誇っていたマンガ『ドラゴンボール』27巻の発売日だったのだ。物語が盛り上がりを見せる巻であり、駅前の書店には発売日を大書した張り紙が掲示されていた。

 午後6時頃、赤池は最新刊のために貯めた小遣いを持って、靴を履いた。普段から出かけてはいけないと言われている時間帯だ。両親が気づいて「もう遅いからやめなさい」と制止したが、この時だけは「今日買いに行かないとなくなっちゃう」と振り切った。

 駅前の書店まで駆けていき、帰りはマンガを手に、誰もいないはずの道路の真ん中を気分良く歩いていた。

 その時だった。

 不意に声をかけられ、目をやると、見知らぬ男性が右手に何かを持って立っていた。

「これでやると痛いからな。静かにしろ」

 そう言うと左手を肩に乗せてきた。恐怖心は湧かなかったが、逃げられなかった。

 無言のまま、近くのマンションに入って階段を上った。当時の赤池は気づかなかったが、このタイミングで通りかかった人がおり、「家族連れじゃないな」と感じて110番通報したことが後に判明している。加害者は通行人の存在に気づいたらしく、カモフラージュのためいったんマンションへ入ったとみられ、2階まで行ってから再び1階へ降りた。

 マンションを出ると、近くの公園へと誘導された。赤池が回想する。

「いつも僕が遊んでいた公園でした。女子トイレの入り口に近い個室に連れ込まれて、和式なので立ったまま被害に遭って、喉が苦しくてゲホゲホとむせて……。今も鮮明に覚えています。犯人が先に逃げ出たのですが、たまたまトイレの前に制服を着た女子2人組がいて、『キャー!』と叫んでいました。その直後に僕が出たらまた叫んできて、それが怖くて家まで走りました」