アナウンサーの話術と面白さが無関係なことに気付く
――コミュ障をどうやって克服されたのですか?
中学後半から始まった暗い時代は、大学不合格でさらに落ち込み、浪人時代に突入するとコミュ障状態はいっそうひどくなります。被害妄想やノイローゼ、幻聴も経験しました。モテ期があったことなんて嘘のような、女の子とまともに話せない引っ込み思案で根暗な人間になっていたんです。
真っ暗な浪人生活を経て無事に大学に合格してからは、ひとりぼっちの苦しさを味わってきたので、「これからは人とのコミュニケーションを大事にして、誰とでもふつうにしゃべれるようになりたい」と思いました。そんな思いから一念発起してアナウンス研究会に入ったわけです。ところが、入って早々、大きな試練が待っていましたね。部員たちの前で自由に話す「発表会」があったのですが、ガチガチに緊張して自分の名前以外ひと言も発することができなかったのです。そのときに口では言い表せないほど悔しさを感じて、専門学校へ通うなど本格的にアナウンサーの勉強を始めたんです。
そんな努力を重ねていったことで、コミュ障状態からは徐々に脱していきます。コミュ障を克服することでコミュニケーション本来の面白さに気付き、人前で話すことが楽しくなっていくわけです。文化放送に入ってアナウンサーになり、いまも話すことを仕事としていられるのは、青春期にコミュ障だったからこそなんですね。
――話し方には、そもそも“正解”といったものはあるのでしょうか?
ふつうにしゃべれない過去があったから、よけいにうまくしゃべりたいという願望が大きかったんでですが、かえって空回りしてしまいまして。ラジオでは、あれこれ迷いながら先輩たちや周囲の人たちから学んでいきます。でも、あるとき「面白いしゃべりに王道はない」ということに気がつきました。
野球の実況中継など、しゃべりの技術が優れたアナウンサーはたくさんいますけど、技術と面白さは別もので直結することはありません。
たとえば、僕がラジオの世界に入ったころ、アナウンサーは標準語で正確な日本語を使うことがふつうでした。NHK的な感じでしょうか。でも、上手だけど引き込まれるかというとそうでない。そこに革命を起こしたのが、文化放送の土居まさるさんです。番組冒頭いきなり、「やぁーやぁーやぁー」「君たち」とカジュアルな挨拶から入り、「僕はねぇ」と近所のお兄さんのような親しさでリスナーに話しかけてきたのです。これには刺激を受けました。
小島一慶さんのしゃべりにも夢中になりましたね。TBSラジオ『パック・イン・ミュージック』を担当されていて、失礼ながら聴いた瞬間はうまいしゃべりに聞こえないのです。でも面白い。落語家のような語り口に僕は大いに魅了されたものです。
そしてビートたけしさん。画期的でしたね。ラジオのパーソナリティがいいお兄さん的な人がカリスマみたいになってきた時代に、「このラジオは、君たちの放送じゃなくて俺の放送だ」と、攻めてくる。とても新鮮で格好よかったです。
小島さんにしてもたけしさんにしても、誰にも真似できない自分のスタイルで人を楽しませる話術がある。まさに面白いしゃべりに王道なんてないのです。